それでも希望がある
デイリーブレッドに1988年以来、多くのデボーションエッセーを書いていますが、忘れられないものがいくつかあります。ひとつは90年代半ば、娘3人がバイブルキャンプや宣教旅行などに行き、6歳の息子とふたりで空港見学に行った話です。息子は振り向いて「メリッサがいないとあまり楽しくないね」と言いました。二歳年上の姉で彼の相棒です。
嵐を避ける場所
オクラホマ州に住んでいた頃、竜巻の「追っかけ」をしている友人がいました。彼は、追っかけ仲間や地元の気象レーダーと無線で連絡を取り合い、竜巻と安全な距離を保ちつつ、その進路を観察しました。竜巻は家や畑を破壊していきます。急に進路を変えた時は人々に注意を促しました。ところがある日、竜巻が急に進路を変え、彼は危機一髪でした。しかし幸いなことに逃げ場を見つけることができて命拾いしたそうです。
十字架を通して
同僚のトムのデスクにはガラス製の十字架が置かれていますが、それは彼と同じく癌を克服したフィルが「何事も十字架を通して見られるように」と贈ってくれたものです。十字架は神の愛と神の麗しい計画を思い出させますが、苦境にあっては神の愛よりも目下の問題に目を向けてしまいがちです。
不安が落ち着く
私は心配性です。ほぼ毎日心配しています。大きなことも小さなことも、何でも心配している気がします。10代の頃、両親が予定を4時間過ぎても帰宅しないと言って警察に電話したことさえあります。
安かれ、わが心よ
子どもを優しく抱きかかえ「よしよし」と言いながら、トントンと背中を叩く姿を想像してください。その行為と優しいささやきは、失望、不安、不快や痛みの中にある子どもを慰めて、落ち着かせてくれます。このような情景は時代にかかわらず普遍的で、私たちもそうしてもらったり、そうしてあげたりして生きてきました。私は詩篇131篇2節を読むと、そんな情景が心に浮かびます。
依存の宣言
がんと闘う母のために、ローラはある朝、友人と祈りましたが、その人は脳性まひで身体が不自由でした。彼女は「主よ、あなたは私の何もかもを満たしてくださいます。どうかローラのお母さんにも、そうしてあげてください」と祈りました。ローラは、神に完全に依存しているという彼女の宣言に感動しました。そして「自分はどうだろう。毎日、何をするにも神に依存することを意識すべきだ」と思ったそうです。
扉を開ける
ジョナサンは脳性まひで生まれ、話したり、思いを伝えることができませんでした。しかし母親のシャンタルはあきらめませんでした。そして息子が10歳の時、目とアルファベット表で会話する方法を見つけました。「扉が開きました。彼に何でも聞けるようになったのです」と彼女は語ります。現在、ジョナサンは目を使って読み書き、そして詩を書くこともできます。家族や友だちと話せるようになった感想を聞くと「みんなを愛しているって伝えられるから嬉しい」と答えました。
友の慰め
学校から娘が下半身を泥だらけにして帰って来たと話すある母親の記事がありました。娘によると、友だちがぬかるみで転んで足を痛めたのでクラスメイトが助けを呼びに行ったそうです。その間、彼女の幼い娘は、痛い足を抱えて泥の中に座っている友だちを不憫に思い、その隣に座って先生の到着を待っていたと言います。
私たちの隠れ家
初めてのアルバイトはファストフード店でした。ある土曜日の夕方、男性客に仕事は何時に終わるのかと尋ねられ、不安になりました。その人は店長からとがめられないように、フライドポテトを注文したり、飲み物を注文したりして、時間を潰しています。私の家は近所でしたが、暗い駐車場や空き地の前をひとりで歩くのが怖くなりました。とうとう深夜12時の終業時刻になり、私は事務所から家に電話しました。