どこに向かっているのか
人生の方向性を決めるのは何でしょう。その答えを、何と、バイクの免許取得コースで耳にしました。友人たちと一緒に免許を取りに行き「目標点凝視」と呼ばれる訓練を受けました。教官は言いました。「みなさんには予期しない障害物に出会う日が、遅かれ早かれやって来ます。そのとき、それをじっと見るなら、そのど真ん中に突っ込んでしまいます。しかし、目を上げて、その先の進むべき地点を見るなら障害物を容易に避けることができます。みなさんは、自分の見ている方向に進むのです。」
疑問があっても礼拝する
グループで旅行をしていると、誰かが「まだなの?」とか「後どれぐらい?」と尋ねることがあります。これは、どの国の人とか、大人とか子どもとかにかかわらず尋ねる質問で、そう尋ねる人は早く目的地に着きたいのです。また、患難の中で長くもがき苦しむ人も、いつになれば終わるかと、同じ質問をしがちです。
夜の歌
パーキンソン病に心身をむしばまれていく中、父は自分らしく生きることを渇望しました。心の平安を慕い求めながら、うつ症状に苦しめられました。愛を実感できなくて、孤独感にさいなまれることが多々ありました。しかし、大好きな詩篇42篇のみことばを読むと、孤独感が薄れました。
心配の対処法
法律を順守する真面目な人の留守電に、警察官を名乗る人の伝言があり、指定された番号に電話するようにといいます。身に覚えは無くとも何か悪いことをしたのだろうか、トラブルに巻き込まれたのだろうかと、心配で眠れない夜がつづきました。その後、連絡は無かったのですが、不安が消えるのに数週間もかかりました。
厄介払いの良き日
年の初めに一風変わったイベントをする人たちがいます。「厄介払いの良き日」と呼ばれ、2006年に始まりました。それは、ある南米の伝統に由来します。各人が、旧年中の悪い出来事や嫌だったこと、恥かしい思い出などを紙に書き、その紙を業務用シュレッダーにかけます。または大槌で打ち叩く人もいます。
望みという戦略
私のひいきのフットボールチームは、現在、8連敗中です。負けるたびに、今季優勝の望みは遠のいていきます。監督は毎週のように戦略を変えて挑みますが、結果につながりません。私は、望みは結果を保証しない、戦略ではないのだから、と職場の同僚とジョークを言っていました。
大いなる目覚め
息子たちが小さかった頃、家族ぐるみの友人たちと楽しく過ごした日々がありました。それは、私の大切な思い出です。大人たちは夜遅くまで話し込み、子どもたちは遊び疲れてソファで眠ってしまいました。やがて帰る時が来ると、私は子どもたちを抱いて表に出て、彼らを車の後部座席に寝かせました。そして運転して家に着くと、彼らをベッドに寝かせ、おやすみのキスをし、明かりを消しました。朝になると、子どもたちは自分の家で目を覚まします。
赤ちゃんを願う木
クリスマスツリーを飾り付け「赤ちゃんを願う木」と名づけました。私たち夫婦は、4年以上も前から養子縁組を望んでいました。今年のクリスマスこそ、子どもを迎えたいのです。私は毎朝、ツリーの前で祈りました。ところが12月21日、それは不可能だと知らされました。私はツリーの前にたたずみました。これは神の備えの象徴です。疑念が心をかすめます。神は今も変わらず良いお方だろうか、私は何か間違いを犯したのだろうか、と…。
安全な場所
私たち兄弟は、ウェストバージニア州の山あいの町で育ちました。子どもの想像力をかき立てる自然の中で、ターザンのようにつるにつかまったり、世界名作劇場の「ふしぎな島のフローネ」の家族のように木で小屋を建てたりと、本や映画で見聞きしたことを実際に試してみました。お気に入りは敵を寄せ付けない秘密基地を作る遊びです。私の子どもたちもまた、毛布やシーツ、枕などで秘密基地を作り、想像上の敵に襲われない「安全な場所」を作って遊びました。安心安全な隠れ場を欲するのは、私たちの本能なのかもしれません。