それゆえにさげすまれ
スザンナ・シバーは、18世紀、名声を博した歌手でしたが、結婚問題のスキャンダルでも有名でした。それで1742年、ダブリンでヘンデルの「メサイア」が初上演されたとき、彼女が独唱者であることを快く思わない聴衆が、少なからずありました。
2重の約束
ルースは数年前にがんを患い、嚥下(えんげ)障害のために十分に食べられません。体力は著しく衰え、度重なる手術や治療のためにやつれて見えます。しかし彼女は、神を賛美しつづけます。彼女の強い信仰は変わることなく、その喜びは周りを明るくします。彼女は日々神に頼っています。そして、いつの日か必ず完治すると信じていました。彼女は癒されるように祈り、遅かれ早かれ、神が必ず応えてくださると信じています。なんという素晴らしい信仰でしょう。彼女の説明によると、揺るぎない信仰は確かな知識から来ると言います。神はみこころの時に約束を成就してくださるだけでなく、その日が来るまで、彼女を支えてくださると約束されているのです。
水の上を歩く
極寒のある日、私は世界で5番目に大きいミシガン湖が凍った様子を見ようと、厚着をして出かけました。そして、いつもは日光浴をする湖岸に立ち、波の形のまま氷った湖面を眺めました。それは自然の芸術作品で、美しくて息を呑むほどでした。
不思議に焦点を
世界を見て悪い部分ばかりが目に留まることがあります。しかしナショナルジオグラフィック誌の写真家、デウィット・ジョーンズ氏は、世界の良い部分を撮影して共に喜ぼうとしています。彼は、一条の光が差し込んだり、見方が変わったりして、元々あるのに気づかれなかった素晴らしい面が現れるときを待ちます。そして自然や人間のごく平凡な表情の内に潜む美しさをカメラで捕えるのです。
「しかし」という信仰
悲観的な性分なので、ついつい否定的な結果を想像しがちです。ひとつの仕事につまずくと、他の仕事も失敗するような気がします。そして、柔軟体操をしていても、いつまでも身体は固いままだろうとか、事もあろうに、自分は何ひとつできないひどい母親だなど、全く無関係なことにまで論理の飛躍が生じます。ある分野の失敗が、多くの分野の感情を無意味に左右してしまいます。
岩に導かれて
加湿器を買いに行くと、年配の女性が行ったり来たりしています。彼女も加湿器を買うのかしらと思って棚が見やすいように移動すると、間もなく、最近流行の風邪の話になりました。彼女は咳と頭痛が抜けきらないと言います。
またね
孫のアリッサと私は別れ際に必ずすることがあります。抱き合って20秒くらい悲しみの叫び声を上げ、数歩後退りすると事もなげに「またね」と言って別れます。ふざけた習慣ですが、又すぐ会えると思っています。
折れない
私はカリフォルニア生まれで、寒いところは苦手ですが、美しい雪景色の写真は大好きです。イリノイ州に住む友人が自宅の窓から見える若木の写真をSNSでシェアしたときは嬉しくなりました。しかし、その気持ちは、きらきら光る氷柱の重さでしなる枝を見てしぼんでしまいました。あの枝は、あとどれぐらい耐えられるでしょう。重荷を負って折れそうな枝は、心配で圧倒されている私の心を映していました。
恐怖から解放される
身体は恐怖に反応します。胃が痛んだり、もたれたり、動悸や息苦しさなどは、不安の現れです。私たちの身体は不安を無視できない仕組みになっています。