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ハエが教えてくれたこと

今の事務所を借りたとき、数匹のハエが死んでいました。生きとし生けるものの行く道です。床や窓枠に死骸が残っていました。私はそれを片付けましたが、ひとつだけ残して眺めました。

ティッシュの箱

手術室の待合に座って思い巡らしていました。ほんの少し前ここに来たときは、たったひとりの弟が脳死だと言われました。そして今日、妻が手術を受けているのです。私は知らせを待ちながら、妻に長い手紙を書きました。周囲はざわざわしていましたが、神の静かな声を聞こうと、私は耳を澄ませていました。

苦しみの中の教訓

スクリーンの映像は大きく鮮明で、皮膚の裂けた深い傷がよく見えました。血だらけになった男を兵士がむち打ち、群衆はあざ笑います。それがあまりにもリアルなので、私は自分が痛いかのように、野外劇場の静寂の中で顔を歪めました。しかしこれは、苦しむイエスを再現する映画にすぎません。

見捨てられたと感じる

クリスチャンを誘惑しようとする老練の悪魔と若輩の悪魔の架空の会話が、C.S.ルイスの著書「悪魔の手紙」の中に記されています。彼らの目標は、クリスチャンの信仰を壊すことです。しかし、先輩悪魔は言いました。「惑わされるなよ。…私たちの仕事が、最もあやうくなるのは、…人間が世界を見回して、神の形跡が全く消え失せたように感じ、なぜ見捨てたのですかと問いながらも、それでもまだ神に従うときなのだ。」

聖書には、忘れられたと感じているにもかかわらず、信仰を貫いた人たちがいます。アブラムは子孫を与えるという約束が反故(ほご)にされたと感じ(創15:2-3)、詩篇の作者も困難の最中で、神に忘れられたと感じました(詩10:1)。ヨブの問題は非常に大きく、神に殺されるのではないかと思いました(ヨブ13:15)。そしてイエスは、十字架から「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました(マタイ27:46)。しかし、神は常に忠実でした(創21:1-7詩10:16-18ヨブ38:1-42:17マタ28:9-20)。

サタンはあなたをも誘惑し、神に見捨てられたと感じさせるかもしれませんが、神はいつも近くにおられます。ご自分の子を決して見捨てられません。聖書は語ります。「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」(ヘブ13:5)。私たちは確信をもって「主は私の助け手です。私は恐れません」(6節)と言うことができます。

私を支える

親と車で旅をしなくなってからは、遠方に住む祖父母を訪ねることがなくなりました。しかしある年の連休、飛行機で行こうと決めて、ウィスコンシン州の田舎町にある祖父母の家に行きました。そして帰る日のことです。空港まで送りに来た祖母が不安気に言いました。「あんなに小さな飛行機に乗るのかい。誰かが下で支えているわけじゃないのに、あれで空を飛ぶなんて、恐ろしいねえ…。」祖母は飛行機に乗ったことがないのです。

希望のさざ波

アメリカ合衆国上院議員ロバート・ケネディは、1966年の南アフリカ訪問の際、ケープタウンの大学でアパルトヘイトの反対者を前に、有名な「希望のさざ波」という演説をしました。「人はいつも、理想のために立ち上がり、人々がより良く生きられるように行動し、不正義にあらがおうとする。そのたびに、人は小さな希望のさざ波を呼び起こす。そのさざ波は、他の幾多のエネルギーや勇気の中心から生まれたさざ波と交差する。そして、その波はひとつの流れとなり、抑圧と抵抗の大きな壁を押し流す。」

つづく…

少年だった1950年代、土曜日の午後によく地元の映画館に行きました。そこで上映されていた冒険シリーズはいつも、主人公が絶体絶命の状況に直面したところで終わります。逃げ道がないところに来ると、毎回「つづく」となって終わるのです。

完璧という呪縛

医師のブライアンは、ミスは許されないという姿勢で治療にあたってきました。しかし、入院は不要と判断した患者が一日も経たずに再搬送され、翌日亡くなりました。彼は打ちのめされ、今度こそ完璧にと努めましたが、完璧は不可能と学んだだけでした。

つまらない作業の目的

大英博物館に、小さな金属の玉を転がして時を刻む時計があります。この玉は、傾いた鉄製の板に削られた溝を進み、反対側にあるレバーに当たります。すると、傾斜が逆になって玉を戻しますが、そのとき、時計の針を先に進めます。この金属の玉は、毎年、4千キロメートルを移動しますが、ゴールはありません。同じところで、同じことを繰り返します。これを見て、はっとしました。無目的に同じことを繰り返す行為が生気を奪っていくと、すごくよく分かったのです。