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損失をのり越えて

作家ウィリアム・ジンサーは、大好きだった自分が育った家を見に行った時のことを書いています。妻といっしょに、マンハセット湾とロングアイランド水道を見渡せる丘に登って目にしたのは、残った大きな穴だけでした。その家は取り壊されていたのです。彼らはがっくり肩を落として、近くの防潮堤まで歩きました。ジンサーは湾岸の景色を見つめ、あたりの音に耳を澄ましました。そして、その経験を次のように記しています。「ほんの少しの悲しみだけで、心は平安でした。風景は昔のまま。今でも夢に見るぐらい私の心に深く刻まれた、その独特な陸地と海の輪郭は、少しも失われていませんでした。」

砂漠地帯

乾燥、砂ぼこり、危険。砂漠、それは水分が非常に少なく、人の生活に適さない場所です。その地で生きていくことは困難で、好き好んでそれを選ぶ人はありませんが、別の選択肢がない場合もあります。

荷を軽くする

自転車の牽引力は大したものです。平均的な大人が専用のトレーラーを使うなら、(相当やる気を出す必要はありますが)自転車で130キロ程度の重さの荷物を引っ張り、時速約16キロで進むことができます。唯一の問題は、荷物が重ければ、速度が遅くなることです。260キロ程度の重さの重機や荷物を引っ張る場合は、時速約13キロになってしまいます。

わたしのもとに来なさい

イエスはこの世に住まわれた間、御もとに来るようにと、人々を招かれました。今も招いておられます(ヨハ6:35)。では、イエスと父なる神は、私たちに何をくださるのでしょう。

失敗は破滅ではない

チャーチル首相は第二次世界大戦中、国民を鼓舞することに長けていました。1940年6月18日、彼は恐れる民衆にこう語りかけました。「ヒットラーは、我々を倒さなければこの戦争に負けると知っている…よって、腹をくくって、大英帝国が数千年つづいたとしても、『あれが彼らの最盛期だった』と人々が言うようになると決意を固めよう。」

誰でも自分の盛んなときを覚えていてもらいたいものです。使徒ペテロの最盛期は恐らく、「あなたは、生ける神の御子キリストです」と信仰を告白したときでしょう(マタ16:16)。他方、私たちは自分の失敗によって自分の器の大きさを決めてしまいがちです。ペテロは繰り返しイエスを知らないと言い、外に出て、苦い涙を流しました (マタ26:75ヨハ18章)。

私たちもペテロと同様、神の基準に届く者ではありません。信仰、人間関係、罪の克服、神に対する忠誠や従順、どれをとってもそうです。しかし、チャーチルの名言にあるように、失敗は破滅ではありません。感謝なことに、霊の生活においても同様です。イエスは、自分の失敗を悔い改めたペテロを赦し(ヨハ21章)、彼を伝道者として用いて、多くの人をご自分のもとに導かれました。

失敗は破滅ではありません。神は帰って来る人をいつくしみ、挽回させてくださいます。

くじけるな

来る日も来る日も、三度の食事を作るのは飽きてしまいました。皮をむいたり、切ったり、混ぜたり、煮たり、炊いたり、焼いたり、少々うんざりしています。ところが、食べることには決して飽きません。毎日毎日繰り返しているのに、なぜか食べることには飽きません。むしろ楽しみです。

「じっと」の中の強さ

クリスチャンとして歩み始めた頃、古い生き方に戻ってしまうのに一年もかからないのではないかと不安でした。そんな時に「主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない」(出14:14)というみことばに助けられました。エジプトでの奴隷生活から逃れ、パロに追跡されていた時、モーセが民に告げた言葉です。彼らは気落ちして恐れていました。

暗闇に光

ペルーに行ったとき、数ある山岳地帯の洞窟のひとつを訪れました。ガイドによると、この洞窟は非常に深いのですが、約14キロメートルの深さまでは既に調査済とのことでした。私たちはこうもりや夜行性の鳥、興味深い岩石層などを見学しました。しかし、ほどなく闇に不安がかきたてられ、息が詰まりそうに感じました。地上に戻って日の光を見た時は、ほっとしました。

責任のなすりあい

今までに色々と責められたことがありました。私の罪や失敗、実力不足などのせいで、家族や友人(そして恐らく赤の他人)を悲しませたり、不安にしたり、迷惑をかけたりしたのですから、それはもっともです。一方、私の責任ではないことや、私にはどうすることもできないことなのに非難されたこともあります。