Month: 7月 2015

取り換える

ジェンはテラスに座り、自分は本を書くべきだろうか、と自問していました。ブログを書いたり講演をしたりしてきましたが、神がもっと求めておられるかもしれないと、怖れつつも感じていました。 「本はみこころですか」と神の導きを求めました。

そばにいる

友人一家に、とてもつらい出来事が起こりました。私は何と言ってあげればよいのか、何をしてあげればよいのか分からなかったので、正直にそう言いました。すると友人は私を見つめ、「そばにいてくれるだけでいいの」と言いました。私は、言われたとおりにしました。それからしばらくして、私たちは神の愛について話し始めました。

忠実な兵役

第一次世界大戦での経験から、C.S.ルイスは兵役のストレスについて身をもって知っていました。彼は第二次世界大戦のとき、兵士が直面しなければならない苦難について語りました。「戦場の兵士の生活は、私たちが様々な逆境で抱く恐怖のすべてを合わせ持ちます。病気のときのように痛みと死という脅威にさらされ、貧困にあえぐときのように寒さ、暑さ、餓えと渇き、劣悪な住環境に耐えさせられます。奴隷のように、労苦、屈辱、不公正、支配者の気まぐれという脅威にさらされ、流刑にされた人のように、愛する者から引き離されます。」

生きて働く神に賛辞を

アメリカの公民権運動の英雄、ローザ・パークスは1955年、バスの座席を白人男性に譲ることを拒否しました。2005年に亡くなったとき、「当時の世相からして、起こるかもしれないことは明白でした。その中で座り続けるのはどれだけ大変だったか。あなたは、自分の身の危険を顧みずに行動し、私たち全員の生活を改善してくれました」と追悼の讃辞が述べられました。

私のやり方

小さな男の子がふたりで、棒と糸を使った複雑なゲームで遊んでいました。数分後、年上の子がもうひとりに向かって不機嫌そうに言いました。「そうじゃない。〇〇君は、違うんだ。これは僕のゲームだから、僕のやり方でするんだ。〇〇君には、もうやらせない!」あらまあ。自分のやり方で…という欲望は、幼いときから始まります。

生徒の涙

アラスカで炊き出しをしている団体の活動に、高校生といっしょに参加しました。4人の生徒たちは、20歳代のホームレスの男性が自分の信念について語るのに耳を傾けてから、優しい態度で福音を伝えました。愛を込めて、イエスを信じて得る希望を語りました。私は生徒たちの対応に感動しました。しかし残念ながら、彼は「自分でよく考えてみる」とは言ってくれませんでした。

与えられた名前

家族には、それぞれの物語があります。我が家の逸話のひとつは、私の名前に関するものです。私の両親は結婚してしばらくの間、長男の名前について意見が一致していませんでした。母は息子に夫の名前を継がせたいと願っていましたが、父は息子の名を「〇〇ジュニア」にしたいとは思っていませんでした。ふたりは話し合いを重ねた結果、父の誕生日に息子が生まれた場合のみ、彼の名を継がせるという妥協案で合意しました。ところが驚いたことに、私は父の誕生日に生まれたのです。それで、私の名前は父と同名で「ジュニア」がついています。

変えられた心

ガーナで1970年代初頭、「人の心」という題のポスターが、壁や告知板に掲示されました。そこにはふたつの絵があって、ひとつには下品で卑しいものを象徴する様々な爬虫類で満ちたハート形の上に、不機嫌そうな男性の顔が描かれており、もう一方には、清潔で晴れ渡ったハート形の上に、満ち足りた表情の男性の顔が描かれていました。そして、それらの下には、「あなたの心の状態はどうですか」と記されていました。

私たちのような人

ウィリアム・ケアリーは19世紀末、インドに行ってキリストの福音を伝えるように召されたと感じました。しかし周りの牧師たちは、「若輩者。神がインドを救いたいのならば、神は、君や私の助けがなくてもそうされる!」と言ってあざ笑いました。この牧師たちは、協力ということが分かっていませんでした。神は、私たちのような人の協力の無いところでは、多くのことをなさいません。