山びこ
レベッカが講演を始めると、マイクを通した言葉が山びこのように反響しました。彼女は自分の言葉が逐一跳ね返って来たり、音響システムを調節しながら話さなければならなかったりして少しイライラしましたが、気にしないようにして乗り切りました。
泣き笑い
昨年、修養会で久しぶりに昔の友人たちと会いました。再会を喜んで笑って過ごしましたが、同時に涙することもありました。心から恋しいと思っていたからです。最後の日は聖餐を共にしましたが、泣き笑いの聖餐式でした。私は、永遠のいのちをくださり、友人たちと楽しい時間を過ごさせてくださった神の恵みを喜びました。一方で、私の罪を贖うために多大な代償が払われたという厳粛な事実を前にして、涙がこぼれました。
新しい自分
自分のことを心配性だと言った人がいました。子どもが事故で怪我をしたとき、その性分を乗り越える方法を学びました。毎週友だちと会って話をし、神の助けと子どもの回復を祈ったのです。数か月の間、恐れや不安を神に祈っていくうちに、くよくよ心配していた自分が、祈りの戦士に変わっていると気づきました。そして、神が新しいアイデンティティー(自分)をくださったと思いました。不慮の事故による心痛と向き合い格闘したことで、彼女は信仰者として厚みを増したのです。
本当に大切なこと
ふたりの男性が、いっしょに行った出張の成果について話し合っていました。ひとりは、取引先に新しいコンタクトを紹介してもらって、その人たちと有意義な関係を結べたので、この出張は行く価値があったと言いました。もう一人は、「関係作りも良いけれど、売上げが何よりも大切だ」と言いました。ふたりの目的の違いは明らかでした。
はるかにまさる
外でサイレンが鳴り、幼い子どもが何の音かと尋ねました。母親は、それは竜巻警報で、地下に避難しないと巻き込まれて死んでしまうかもしれないと説明しました。すると少年は「それは悪いことなの? 死んだらイエスさまに会えるのに」と言いました。
自分の話
その大ごとが起こったのは、1975年のことでした。親友のフランシスに知らせなければなりません。アパートに行くと、彼は出かけようと急いでいましたが、私の真剣な様子に、大切なことだと思ったのでしょう。「どうしたの?」と尋ねました。私は単刀直入に「昨日、イエスにいのちを明け渡した」と言いました。
砕かれ新しくなる
父は第二次世界大戦中、陸軍に入り、南太平洋に行きました。そして、「松葉杖はいらない」と言ってすべての宗教を拒否しました。しかし、そんな姿勢が全く変わる日が来ました。その夜、母は3人目の子どもを出産しようとしていました。兄と私が床につくときには陣痛が来ていて、私たちは翌朝には弟か妹が生まれているとわくわくしながら眠りにつきました。そして朝起きると、「赤ちゃんは男の子、女の子?」と父に尋ねました。すると父は、「女の子だったけど、死んでしまった」と答えたのです。私たちは悲しくて一緒に泣きました。
ローマの美
イエスの物語はローマ帝国の繁栄という背景を踏まえています。紀元前27年、初代ローマ皇帝アウグストスは、200年におよんだ内戦を終わらせ、記念碑や寺院、競技場、政府の施設などを建て、ローマをみごとに復興させました。その時代の歴史家、大プリニウスによれば、それらは「世界がまだ見たことのない美しい建造物の数々」だったそうです。しかし、その美しさとは裏腹に、ローマの町、そして帝国は、崩壊のときまで残虐の歴史を紡いでいきます。何万人という奴隷や外国人、脱走兵や革命家たちが、道の脇に立てられた十字架につけられて、見せしめにされました。
あなたの目的
ある暑い日。テキサス州西部の町で姪が見たという女性は、意外なことが書かれた板を持って信号の脇に立っていました。