道をそれる
夫婦で初めて仕事をしたとき、グズグズすることが私の一番の問題だとはっきり分かりました。妻の役目は、私の文章の手直しとスケジュール管理でした。一方、私の仕事は、妻をいらだたせることのようでした。とは言え、私が締切りや方向性に抵抗しても、大抵は結局、妻の段取りの良さと忍耐に根負けしていたのですが。
イエスは分かってくださる
寝付きの悪い子どもがいます。その理由はさまざまですが、私の娘は、部屋から出ていこうとした私に「真っ暗だとこわいから」と言いました。私は娘をなだめ、常夜灯をつけたままにしました。部屋にお化けはいないと安心させるためです。
足踏み
軍隊で「足踏み」という命令は、前進せず、その場で歩く動きをすることです。これは、次の命令に備えて心構えをしつつ、積極的に待機するという前向きな姿勢です。一方、日常の会話で「足踏み」というと、停滞していること、進歩や前進のないこと、待つ以外に何もできないという状況で、空虚さを感じさせます。
頼れないものを頼る
私の趣味はバードウォッチングです。様々な鳥が生育するガーナの森で育ったので、そこで覚えました。さて、今住んでいる町にはカラスがいるのですが、最近、ある行動に気づきました。カラスは落葉した枝に降りて休んでいましたが、頑丈な枝ではなく、乾いてもろい、すぐに折れてしまう枝ばかりに止まります。枝が折れる度に羽ばたいて移動しますが、また同じような枝に止まり、いらぬ労力を費やします。どうやらこの鳥には、頑丈な枝が安全な場所だ、という感覚は無いようです。
開いた手
ビディ・メイソンは1891年、墓標のない墓に埋葬されました。奴隷だった人にはよくあることですが、彼女ほど成功した人なら別のはずです。ビディは1856年、裁判で自由を勝ち取ると、看護技術と事業努力で一財産を築きました。その後、移民や受刑者の窮状を知り慈善活動に乗り出したので、人々は助けを求めて彼女の家の前に列をなしたといいます。そして、自由人となって16年後の1872年、ビディと娘婿は、私財を投じてロサンゼルスに第一アフリカン・メソジスト監督教会を設立しました。
贈り物と送り主
それは靴ひもに5個の立方体を通しただけのキーホルダーです。ずっと前、娘が7歳の時にくれたものです。今では、ひもはほつれ、立方体の角が欠けていますが、そこに書かれた「パパ大すき」というメッセージは決して古びません。
意外性
夫婦でアメリカ南部を旅行しました。暑い真夏の昼さがり、アイスクリームを買った店の壁に「スノーモービル絶対禁止」という看板がありました。その意外性に思わず吹き出しました。
踊りに変える
以前、勤めていた会社でリストラされたとき、とても動揺しました。編集者という仕事は、自分が自分であるために欠かせないと考えていたので、かなりショックでした。最近、フリーランスの仕事で、契約更新はないと言われました。とても悲しかったのですが、あの時のように土台を揺るがす激震にはなっていません。これまでの経験で、神が真実なお方で、私の悲しみを喜びに変えてくださると分かっているからです。
知るべきことは何か
シンガー・ソングライターのデイビッド・ウィルコックスは、どのように曲を作るのかと問われ、静かな部屋、真っ白なページ、「知るべきことは何か」という自問、この3つが必要だと言いました。これはデボーションのアプローチとしてもすぐれています。