Month: 9月 2016

結婚式の準備完了

八歳になる娘が、「おなかすいたよぉ」と言いました。私は、「ごめんね、ママ食べるもの持ってないのよ。〇Xゲームをしようか」と答えました。私たちはもう一時間以上も、教会で花嫁の到着を待っていました。結婚式は正午に始まる予定でしたが、まだどれぐらい待たされるのでしょう。娘の機嫌が持つかしら、と私は心配でした。

緊急の祈り

スタンリー・プレイムナスが2001年9月11日、ワールド・トレード・センター南棟の81階で働いていると、窓の向こうから突然、飛行機が近づいて来ました。スタンリーは、とっさに机の下に隠れて、「主よ、どうにもなりません。助けてください!」と祈りました。

エヴィーの決心

アメリカの高校生25名の聖歌隊が、ジャマイカへ神を証する旅に行きました。彼らは別の文化、別の世代の人たちの前で賛美歌を歌い、証をし、神の愛を伝えました。エヴィーはその中のひとりですが、特別に思い出深く、喜ばしい体験をしました。

最も大切なもの

イエスのまな弟子ヨハネが教える内容は、年齢を重ねるにつれ、絞られていきました。彼の3つの手紙の焦点は、もっぱら神の愛です。ピーター・クリーフトの著書「神の愛の真実を知る」の中には、ある伝承が記されています。それは、ヨハネの若い弟子が 「なぜ、それ以外のことを話さないのですか」と不平を言うと、ヨハネが「それ以外のものはないからだ」と答えたというものです。

すべては神から出たもの

私は18歳で就職し、コツコツ貯金する大切さを学びました。そして、大学の学費の一年分が貯まったとき、母が手術を受けることになりました。私は、自分の計画よりも母の手術が大切だと思って、その貯金を母の手術代にしました。そのとき、以前に読んだエリザベス・エリオット著の「情熱と純潔」の一節が、新たな意味を持ちました。

自分にできることを

シャーロットは、フェイスブックの意地悪い投稿に、柔らかいながらもはっきりと異議を唱えます。彼女の発言は一人ひとりの尊厳を大切にし、常に前向きです。クリスチャン嫌いの人とも「友だち」になりました。その人は、シャーロットにはたぐいまれな誠実さと優しさがあると認め、クリスチャンに対する怒りも徐々に薄れていきました。

お情け

学校から帰った息子が、青い目を輝かせて、嬉しそうに答案用紙を見せました。それは、赤い星の印が付いた100点の算数のテストでした。ところが息子によると、先生が「終了」とおっしゃったとき、まだ解けていない問題が3つあったと言います。私は不思議に思って、「それなのに、なぜ満点だったの」と尋ねました。すると息子は、「先生は、『お情け』だって言ってたよ。僕が全部やり終わるまで待ってくださったよ」と答えました。

イエスが描いてくださった祈りのための青写真

私たちと神との関係で、最も大きな問題点のひとつは、私たちの自己中心です。自分なりの方法で神により頼むことができる、と思っていることです。この身勝手な神頼みは、私たちの祈りに表れます。祈る人はたくさんいますが、神のみこころにそって祈る人は、そう多くはありません。神が望んでおられるように祈ること、これが、このテキストが取り組んでいることです。「主の祈り」は、最もよく知られた祈りです。何度も口ずさまれてきましたが、ほとんど理解されないままでした。ゴードン・コンウェル神学大学院の説教学の教授であり、聖書学者としてもよく知られているハドン・ロビンソンが、この混乱した状況にメスを入れ、祈りの青写真はイエスによって描かれていることを明らかにしました。この青写真は、二千年前そうであったように、現代の私たちにも適切な示唆を与えてくれます。
(A5版 40ページ)

しゃぼん玉

アトランティック・シティーの遊歩道を夫婦で歩いていたとき、男の子が脇を駆け抜け、しゃぼん玉が降ってきました。それは、重苦しい一日に訪れた楽しい時間でした。私たちはその日、義理の兄を病院に見舞いました。また、なかなか医者に診てもらえずに困っている、姉を助けようと努力していました。海岸べりの遊歩道を歩きながらひと息つこうとしつつも、彼らの必要の大きさに圧倒されていました。 そこへしゃぼん玉が降ってきました。小さな男の子が、海風の吹く中で気まぐれに飛ばしたのですが、私にとっては大きな意味がありました。私はしゃぼん玉が大好きで、事務所の机の中には石鹸水の小瓶を常備しています。笑顔が必要なときに使うためです。