Month: 4月 2017

私のために捨てられた

バージニア大学の研究者が、痛みに襲われる時の脳の反応を調べました。ひとりの場合、知らない人が手を握ってくれた場合、親しい人が手を握ってくれた場合で違いがあるかを調べたのです。数十組のペアで実験し、一貫した結果が得られました。ひとり、または、知らない人が手を握っている場合は、危険を処理する脳の領域が活発に活動していましたが、友人の場合は静かでした。友がそばにいると、痛みは軽減するようです。

髪を下ろす

マリヤは十字架を前にしたイエスの足に香油を注いだだけでなく、自分の髪で主の御足を拭きました(ヨハ12:3)。彼女は一生かけて蓄えたかもしれない高価な香油のみならず自分の評判も犠牲にしました。というのは、当時、良家の女性は人前では髪を下ろさなかったのです。イエスを礼拝するためなら、何を言われても構わないと考えたのでしょう。真の礼拝は人の目を気にしません(Ⅱサム6:21-22)。

なぜ赦すか

友人に裏切られたとき、彼女を赦すべきだと分かっていても、できるだろうかと思いました。鋭い言葉が心に突き刺さり、怒りと痛みで心が震えました。話し合いの後、私は赦すと言いましたが、その自信はありませんでした。彼女を見るたびに古傷がうずき、長い間、まだ恨んでいるのだと分かりました。しかし、ついに祈りは応えられ、きれいさっぱりと忘れることができました。やっと解放されたのです。

ベストフレンド

私は12歳のとき、家族といっしょに砂漠の小さな町に引っ越しました。体育の授業の後は喉がからからになるので、クラスの皆は水飲み場に駆け出します。けれども私はきゃしゃで童顔だったので、水飲み場の列から押し出されることがありました。ところがある日、大柄で力の強い友だちのホゼが「おい、バンクスの番だろう」と言って、身体を張って守ってくれました。それ以後、水飲み場の問題は解消されました。

信仰の旅路

ルー・ウォーレスの小説『ベン・ハー キリストの物語』は、最も世に影響を与えた19世紀のキリスト教書籍と言われます。ユダ・ベン・ハーという架空のユダヤ青年貴族と実在のイエスの生涯を紡ぎ合せた物語は、1880年の初版から今に至るまで読む人々の心を魅了します。

人生の羊飼い

息子が小学校で進級したとき「ずっと同じ先生がいい!」と言って大泣きしました。私たち夫婦は、先生は変わっていくものだと説明して、彼を納得させなくてはなりませんでした。事実、生涯つづく親しい関係などあるだろうかと思うことが、私たち大人の人生にもあるかもしれません。

聖人通り

夫婦でロンドンを歩いているとき「聖人通り」という名前の道に出くわしました。そこに昔、神のように聖(きよ)く正しく生きた人が、その道沿いの家に住んでいたというのが、この名前の由来だそうです。私は旧約聖書の一節を思い出しました。

永遠に変わらないもの

最近、災難つづきの友だちが「この2年間で多くのことが変わってしまって、本当に恐ろしい…。何もかも変わってしまうのだから」と言いました。

コシの勇気

トーゴ共和国のモノ河で洗礼を待つ間、コシは古びた不気味な木像をおこしておいた火に投げ込みました。彼の一族はずっとこれを拝んできたのです。これに最上の鶏をささげることは、もう二度とありません。