休息する日
ある日曜日、私はロンドン北部の住宅街を流れる川べりに立ち、水のせせらぎや鳥の鳴き声に耳を傾けていました。街中に住みながら、このような美しい光景を楽しみつつ、ゆっくりリラックスできるのは嬉しいことです。私は、たましいに休息とうるおいを与えてくださる主に、感謝の祈りをささげました。
本当に良い人になるとは
ジャマイカで育った私たち姉妹は、両親から「良い人」になるようにと教えられました。私の家庭の中で「良い」とは、両親に従い、嘘をつかず、学校や職場で良い成績を収め、教会に行く(少なくとも、イースターとクリスマスには)ということでした。この良い人の定義は、多くの国で共通しているのではないでしょうか。使徒パウロは、ピリピ人への手紙3章で自分の民族における「良い人」の定義を用いて、非常に大切なことを述べています。パウロは当時の熱心なユダヤ教徒として、律法を順守していました。良い家庭に生まれ、良い教育を受け、正しい宗教を信じていました。ユダヤの文化にあって、彼はあらゆる点で良い人であり、優れた人でした。それを誇ろうと思えば十分誇れると、パウロ自身語っています(4節)。
まず愛する
養子に迎えた息子が私たちとの生活に慣れ、心の傷も癒されて欲しいと忍耐強く接してきました。しかし、幼児虐待の傷は問題行動となって表れました。彼の過去に心から同情しつつも、私は彼から気持ちが離れて行きそうでした。自責の念に駆られながらカウンセラーに相談すると、「まず、あなたが愛してください。自分は愛を受けるにふさわしいと分からせてあげれば、彼の行動は変わってきます」と言われ、心を打たれました。
ヨセフのように言えますか
子どもの発達行動を研究する小児科医バーバラ・ハワード博士は、ニューヨークタイムズ電子版の記事で、えこひいきは兄弟喧嘩の最も大きな原因だと語ります。
自由を感謝する
ニュージーランドの報道カメラマンのオラフ・ワイイグ氏は、誘拐され13日間監禁されました。彼は解放されると、満面に笑みを湛えてこう言いました。「今ほど生きていると実感したことはありません。」
隔てを壊す
原稿の締め切りが近いのに、朝の夫婦喧嘩のことが気になり、パソコンを叩く指も止まったままです。「主よ、夫も悪かったのですよ」とつぶやくと、画面が暗くなり、自分のしかめっ面が映りました。私の自我が仕事を遅らせているだけでなく、夫婦の関係や、神との関係を傷つけていました。私はプライドを捨て、電話で夫に謝りました。夫も謝ってくれたので一件落着。神に感謝しました。締め切りにも間に合いました。
近道
友だちの庭は、よく手入れされ、春の日を浴びて百花繚乱です。「何もせずにこれが手に入ればいいのに」とナンシーは羨ましそうに言いました。
家の掃除
最近、部屋替えをしましたが、準備に時間がかかりました。部屋を移るだけでなく、ガラクタを処分してすっきりと新たな生活を始めたかったからです。捨てる物、献品する物、リサイクルする物など、分別は骨の折れる仕事でしたが、ご褒美は美しい部屋です。そこで生活すると思うとワクワクしました。ある現代語訳聖書ではペテロの手紙第一2章1節は「家を掃除しなさい。悪意やごまかし、ねたみ、悪口を箒で掃き出してきれいにしなさい」ですが、そのみことばが新鮮に響きました。