あふれ出る
何ということでしょう。私は「あぁー!」と叫びました。パイプの詰まりを何とかしようと試みたのですが、失敗したことはレバーを引いた瞬間に明らかでした。水があふれ出て、私は呆然と立ちつくしてしまいました。
神のいつくしみをたたえる
聖書をいっしょに学んでいるグループのひとりが、自分たちの詩篇を書こうと提案しました。文才がないと反対する人もいましたが、大丈夫と励ますと、神が自分のために働いてくださったことを賛美する詩をおのおのが書きました。それは感動的な詩の数々でした。苦難からの解放、守り、備え、そして痛みや涙でさえ語るに値するメッセージであり、私たちの賛美になりました。各人の詩篇は、詩篇136篇と同じく、神の愛はとこしえまで、という真理を表していました。
ついていくなら
クロスカントリーをしていたとき、先頭ランナーにペースを作ってもらい、その後ろを走れと助言されました。そうすれば、最高の走りに必要な体力と気力を保持することができるからです。
神が働かれる
神が働いておられると最近感じたのはいつかと友人たちに尋ねると、ある人は「毎朝、聖書を読むとき。新しい一日が始まるとき。あらゆる局面で共におられ、一歩一歩導いてくださるとき。問題に遭遇しても喜びを失わず乗り越えようと頑張れるとき」と答えました。私は彼女の答えが気に入りました。なぜなら、それは、神がみことばと内住の聖霊を通して、神を愛する人のそばにおられ、その人の人生に働かれていることを述べていたからです。
そう見えるのではなく
妻が電話で「ねぇ、庭に猿がいるの」と言いました。確かに受話器の向こうに猿の鳴き声が聞こえます。野生の猿は3千キロ以上離れた場所にしか生息しないので奇妙です。後で義父がアメリカフクロウだと教えてくれました。「そうみたい」と現実は違うのです。
天の宝
子どもの頃、私たち姉妹は、ヒマラヤ杉の収納箱の上に並んで座るのが好きでした。その中には、毛糸のセーターや、祖母が刺繍したり、かぎ針で編んだりしたものが保管されていました。ヒマラヤ杉には防虫効果があるので、母は大切なものをその中にしまっていたのです。
時間を惜しまない
最近、米国へ来たシリア人女性のリマは、片言の英語と身振り手振りで英語の家庭教師に辛い理由を話しました。大皿に盛りつけた手作りの郷土料理を持ち上げ、涙を流しながら「ある人が」と言い、ドアから居間、再びドアを指さし「ヒューッ」と言いました。家庭教師は理解しました。近くの教会の幾人かが、リマの家を訪問して届け物をする予定でしたが、来たのはひとりだけ。しかもその人は、届け物をするとすぐに出て行きました。とにかく責任は果たしたということでしょうが、リマたち家族は孤独で、ファティールを食べながら人と交わりたかったのです。
心安らかに耐え忍ぶ
神を信じていても慢性痛と戦っていると、ほんの少しのことで猛烈な攻撃に襲われたように感じます。次から次へと前後左右から打ち叩かれているようです。すぐにはどうにもならなくて気力が萎えていくとき、どこかに逃げ出したいのですが、痛みからは逃れられません。状況を変えたり、己の感情を無視したりもできません。私は神に頼って忍耐することを少しずつ学んでいます。
遠方の地
エミー・カーマイケル(1867-1951)はインドで捨てられた女の子たちを救済したことで知られています。多忙を極める日々の中、彼女には「ビジョンの瞬間」と呼ぶ時がありました。著書「月明かりの金」には「忙しい一日のただ中に『遠く広がった国』を垣間見る時が与えられ、私たちは途上でしばしじっと立ち止まる」と書いています。