救いを祈り求める
ミネソタ州は19世紀末に5年に渡ってイナゴの害に苦しみました。人々はタールでイナゴを捕獲したり、ふ化を止めようと畑を焼き払ったりしました。農民は飢餓の瀬戸際で必死に神の助けを求め、多くの人はともに祈るべきだと思いました。州知事も同意し、全州で4月26日が祈りの日になりました。
本物のキリスト教
昔、キリスト教団体の仕事に応募したとき、アルコールやタバコ、特定の娯楽などの禁止事項を列記したものが示され、「スタッフはクリスチャンに相応しい振る舞いをしてください」と説明されました。私は信仰と無関係な理由でそれらをしないので、個人的には問題はなかったのですが、議論好きの一面では、「傲慢・無神経・人のあら探し・辛辣・霊的無関心について言及しないのはなぜだろう」と感じました。
神の力を実感する
私と6歳の娘は床に座って、ガラスに反射する雷雨の稲光を見ていました。娘は「神さまってすごい!」と何度も繰り返し、私も同感でした。神の力を目の当たりにして自分がとても小さく感じられ、「光が分かれる道はどこか。東風が地の上で散り広がる道はどこか」というみことばを思い出しました(ヨブ38:24)。
断固断るべき時
第二次大戦中、ナチスに徴兵されたフランツ・イェーガーシュテッターは、基礎的な訓練には服しましたが、ヒトラーに忠誠を誓う宣誓を拒みました。一旦は農場に戻りましたが、再度招集され、兵役につきました。そこでナチスのイデオロギーを体験し、ユダヤ人虐殺を知ると、神に忠誠を誓うならナチスのために戦うことはできないと決意しました。フランツは逮捕されて死刑となり、妻と娘が残されました。
神による修復の方法
ミュージカル「グレイテスト・ショーマン」の「フロム・ナウ・オン」という歌は感動的です。家族や友だちをどれほど傷つけていたかを悟った主人公が、古巣に戻り、自分は本当に幸せだったのだと喜び祝う歌です。
偏見と赦し
不義を正すという礼拝メッセージの後、ある教会員が、黒人であることを理由にその牧師の招へいに反対票を投じたと告白し、涙を流して赦しを乞いました。「どうか赦してください。私の人種差別や偏見を我が子に継がせたくありません。私が間違っていました。」牧師は彼の涙の謝罪を受け止め、赦しました。その人は次の週、神に変えていただいたというあかしをし、教会の皆が喜びました。
人生の嵐を乗り越えて
ジョン・F・ケネディ・ジュニアが操縦する小型機が、1999年7月16日、大西洋に墜落しました。事故の原因は、空間識失調と言われるよくある過失でした。視界が悪い時に起こりうる現象で、パイロットは状況を客観的に把握できる心理状態でなくなり、計器に頼って操縦することを怠ってしまうのです。
確信をもって祈る
リチャードは待望の第一子の妊娠を知らされ、大喜びしましたが、妻には胎児に危険が及ぶ持病があるため、毎晩必死で祈りました。ところが、ある夜、神が万事取り計らうと約束されたのだから大丈夫だ、と感じました。しかし、1週間後、妻は流産し、悲嘆に暮れました。自分の祈りが足りないせいで赤ん坊を失ったのだろうかと思いました。
耳を傾け、学ぶ
その家の庭には星条旗を羽織った大きな白頭ワシのビニール人形。駐車スペースに停めた大きなトラックの横窓には国旗が描かれ、後部には愛国的なバンパーステッカーがたくさん貼られています。一方、道路を挟んだ向かい側の家の庭には、昨今のニュースで注目された社会的正義のスローガンが掲げられています。