大きな光
タイ人のサッカー少年12人とコーチは、楽しい冒険になると思って迷路のような洞窟を降りていきました。2018年6月某日の午後でした。しかし、水位が急に上昇して、洞窟の奥へ奥へと追い込まれ、救助されて脱出するまでに2週間半を要しました。潜水チームは増水に阻まれながらも救助を決行し、少年たちは小さな岩棚に座り、懐中電灯を照らしていました。彼らは暗闇の中で、何時間も、希望の光が見えることを願っていました。
反対されても信じる
エスタはキリスト信仰に反対するフィリピンのある部族の一員ですが、生命にかかわる病気が伯母の祈りによって癒やされたことがきっかけで、イエスを救い主と信じました。今は地元で聖書の勉強会を主催しています。襲うとか殺すとかと脅迫されますが、「私はイエスについて人々にお伝えせずにはいられません。なぜなら、神の力、愛、親切、そして誠実さを自分が体験したからです」と語って、喜んで神に仕えています。
傷口に塩
ラジオの黄金時代、フレッド・アレン(1894年〜1956年)は、世界恐慌や戦時下で、悲観主義を笑いにして人々を和ませました。彼のユーモアのセンスは辛い生い立ちに培われたものです。母親を3歳になる前に亡くし、依存症の父親からも引き離されました。交通量の多いニューヨークの通りでひとりの少年を助けて、「君、一体どうしたんだ。大きくなって大人の苦労ってものを味わってみたくないのかい?」と言ったという話は有名です。
大胆な信仰
プレム・プラダン(1924年〜1998年)は、第二次世界大戦中に撃墜された飛行機からパラシュートで脱出する際に負傷し、歩行に障害がありました。彼は、そんな自分がヒマラヤ山脈で宣教するなんて、神は何と不思議なお方だ、と語っていました。ネパールで福音を語るなら、劣悪な刑務所に投獄されるなどの迫害を受けます。プラダンは、15年の間の10年間、14か所の刑務所をたらい回しにされました。しかし、彼の大胆な宣教は、キリストに人生を変えられる人々を生み出し、そこには看守や受刑者も含まれていました。彼らはイエスの福音をそれぞれの村の人たちに伝えたのです。
勇士
ディート・エマンはドイツ軍が1940年にオランダに侵攻するまでは、家族や友人と楽しく過ごし、仕事をしたり、恋をしたりという普通の女性でした。彼女は「危険が戸口まで迫ってきたら、人はダチョウのように砂の中に頭を埋めたくなるものです」と語っていますが、実際は、ナチスに抵抗するように神に命じられたと感じて行動しました。それは、命の危険を冒してもユダヤ人や他の抑圧された人々の隠れ家を探すことでした。この年若い内気な女性は、神の勇士となったのです。
感謝の心
古代ローマの偉大な哲学者セネカ(紀元前4年~西暦65年)は、皇妃メッサリナに姦淫の罪を告発され、元老院に死刑を宣告されました。しかし、皇帝クラウディウスは、コルシカ島への流罪に処したのです。おそらく、告発が虚偽だと思ったのでしょう。この減刑が、感謝に関するセネカの考えに影響を与えたのかもしれません。彼は、次のように書き残しました。「殺人、圧制、窃盗、姦淫、強盗、冒涜、反逆は、常に存在するが、それを超える重罪は、恩知らずという罪だ」
神のみこころ
困難に不平を言わない、苦手な人を愛する、良心の声に従う、好みでない分野に踏み出すなど、神のみこころに従うのが難しいときがあります。ですから常に、「黙って聞きなさい。そして、イエスに言われたことを行いなさい」と、自分に命じなければなりません。
希望を語り告げる
神の子どもになった経緯を高校生のエマが語りましたが、どれが彼女の言葉で、どれが聖書の引用か分からないほど、ふたつが自然に混ざり合っていました。「まるで歩く聖書ね」とほめると、彼女はけげんな顔をしました。自分が聖句を引用していると気付いていなかったのです。聖書を読むことが日課だったので、みことばが日常の語彙になっていたようです。彼女は、神のご臨在を喜んで受け止め、神が機会をくださるときには、真理を人に優しく語ります。このような若者は、エマだけではありません。