シンプルに伝える
切迫した短いメールでした。「救いを求めます。イエスを知りたいのです」。家族や友人は福音になかなか心を開いてくれないのに、何と、この人は単刀直入です。私の役目は、懐疑的にならず、救いの概念、関連の聖書のみことば、信頼できる情報を提供することでした。そこからは神の領域です。神が彼の歩みを信仰によって導いてくださいます。
2つの世界、2つの国籍
「しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ3:20)
イエスを信じる者は、2つの世界に生き、2つの国籍があります。パウロが語った天の国籍と、この世の国籍です。私たちの主たる国籍は天なので、自分の現状を「在留外国人」とたとえるクリスチャンもいます。
とは言え、この世に対して何の責任もないわけではありません。天国の国民として、私たちはこの世でどのように生きるべきでしょう。
指導者のために祈る。「すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。」(Ⅰテモテ2:1-2)
政府の権威に従う。「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。」(ローマ13:1)
カエサルに返す。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」(マタイ22:21)
高潔に生きる。「すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。」(Ⅰペテロ2:17)
私たちには、この世でイエスのように生きるという務めもあります。そのためには、貧しい人に心を配り、弱い人を助け、虐げられた人のために声を上げる、といったイエスの心を映す姿勢と行動が必要です。
上に挙げた責任には前提があります。イスラエルの宗教政府の指導者たちに脅されたペテロは、賢明にもこう答えました。「人に従うより、神に従うべきです」(使徒5:29)。私たちが第一に忠誠を誓うのは、常に救い主とその御国です。
イエスを信じる私たちにとって、この世の善良な住民として生きるとはどういうことでしょう。今月は、キリストを敬い、地域社会に貢献する住民になるにはどうしたらよいかを考えてみました。このトピックは、4 月1、8、18、22 日でも取り上げています。
永遠に残る仕事
李氏朝鮮時代の王、英祖(1694年~1776年)は、腐敗と贅沢を是正しようとして伝統工芸の金糸の刺繍まで禁じたので、その技術が廃れました。2011年、シム・ヨンオク教授は、その復元を試みました。金糸は金箔をこうぞ紙に貼り付け、手作業で細く切ったと推測し、その工程を再現させました。
踊って賛美
年配の女性が車椅子に座っている動画があります。これは1千万回以上視聴されました。その女性は、往年の有名なバレリーナ、マルタ・ゴンザレス・サルダーニャです。今はアルツハイマーを患っていますが、チャイコフスキーの「白鳥の湖」が流れると、奇跡が起こります。彼女の弱々しい手がゆっくり上がり、最初のトランペットの音でバレエが始まります。知力も体力も衰えていますが、才能はそこにあるのです。
私たちの時間を償う
母は結婚のために大学進学をあきらめました。1960年代のことです。しかし、家庭科の教師になる夢を捨てきれませんでした。3人の子どもを授かった後、学士の資格はないものの、ルイジアナ州の保険局で栄養士補佐の仕事に就きました。それは、健康的な食事のメニューを実際に料理して見せる家庭科の教師のような仕事でした。母は自分の人生を振り返り、神は彼女の祈りを確かに聞いて、心の願いをかなえてくれたと語りました。
小さい狐
カップホルダーが小さすぎたので、パイロットはお茶をコンソールの上に置いたところ、乱気流の揺れでカップが倒れ、コントロールパネルを濡らしてエンジンが停止しました。飛行機は別の空港に無事着陸しましたが、2か月後、他の航空会社でも同じことが起こりました。製造メーカーは、大惨事を引き起こしかねない小さな見落としがあったと気付きました。3億円以上もする飛行機のカップホルダーが小さすぎたのです。
場所を用意する
我が家が子犬をもらうと決めると、11歳の娘は数か月にわたって熱心に情報を集めました。どんなエサがよいとか、家に慣れさせる方法など、色々な豆知識です。そして、一部屋ずつ慣れさせるのがよいということで、子犬専用の部屋を決めました。実際に犬が来ると、様々な予期せぬことが起こるでしょうが、娘は嬉々として最善の準備を整えました。
ありがた迷惑
インドの自閉症の子どもの学校に、ある企業から寄付があり、条件はないというので、学校はそれを受け取りました。しかし後日、自分たちを理事にして運営に参加させてほしいと言ってきたので、寄付を返却しました。学校はキリスト教主義で、校長は「神のやり方で、神の働きをすることが大切です」と述べました。