神に仕事を献げる
ある雑誌の仕事を引き受けました。私が「重要」と感じる雑誌で、一流と評判の編集長は高いレベルを要求します。私は重圧を感じながら、何度も文章を書き直しました。なぜ、こんなに大変なのでしょう。テーマが難解だったのかもしれません。あるいは、この不安は、自分に関することなのでしょうか。不評なら、文章だけではなく、自分が否定されると感じているのでしょうか。
罪を避ける
この夏、ツタウルシの毒に2度もかぶれてひどい目に遭いました。庭の雑草抜きをしていたときにやられたのですが、その存在には三つ葉の形状から気付いていました。たぶん大丈夫だろうと高をくくっていたのですが、すぐに間違いだと思い知らされました。ツタウルシのような手ごわい敵を見たら、近寄ることなく、即座に退散すべきだったのです。
神の友の友
共通の友人がいると初対面の人でも親しみを感じます。「○○さんのお友だちですか。友だちの友だちは皆友だち、と言いますから、私たちももう友だちですね」と気さくに声をかけられたら、受け入れられているように感じるでしょう。
神の備え
配給品の積み下ろしをママが毎週手伝うので、3歳のバディも教会に行きます。トラックが故障したという話を聞いて、バディは「配給はどうなるの?」と心配しました。ママは新しいトラックを買うために教会が献金を募るだろうと言いました。バディはにっこりして「僕、お金あるよ」と貯金箱を持って来ました。38ドル分の硬貨が入っています。大した金額ではありませんが犠牲的な献げ物です。神は、みんなとバディの献金で新しい冷蔵トラックを購入させてくださり、教会は地域に仕え続けることができました。
共に歩む
忠犬のビリーの優しさは、2020年、ネットで有名になりました。飼い主のラッセルが骨折して松葉杖を使い出して間もなく、ビリーも足を引きずるようになりました。獣医に診てもらっても異常はありません。実は元気なのですが、飼い主と一緒のときだけは足が悪いかのように歩くのです。人の痛みに寄り添おうとするとはこのことです。
暗い日々、深い祈り
人気芸能人が「暗い日々だった」とコロナ禍の中の自分を語りました。「新しい生活様式」に適応できず、不安の中で自殺願望が芽生えたと言います。負の連鎖に陥らなかったのは、信頼できる友人に悩みを打ち明けらけれたからだと語ります。
十字架の意味
インド中部でキリスト教徒と他宗教の人々の間で緊張が高まったことが20世紀半ばにありました。その時、屋根の十字架を壊すように言われて、3階建ての建物によじ登った若者がいましたが、目的を果たす前に落ちて大けがをしました。病院に運ばれると、同室の患者はキリスト者でした。
大胆な改革
ミシガン州の我が家の壁にはガーナの儀式用の弓と矢筒が飾ってあります。昔、宣教師をしていた父が現地で購入し、私が遺品として受け継いだのです。ある日、ガーナ人の友人が家に来ると微妙な顔をしました。そして、弓に結ばれていた物を指さして「これはおまじないです。何の力もないことは分かっていますが、私なら家には置きません」と言いました。私たちは急いで弓からそれを切り取り、捨てました。神以外を拝するものを家に置きたくはありませんでした。
ゆとりが不足を補う
アメリカの学校の食堂は、飲食店同様、食事を多めに作ります。弁当を持参する生徒もいて、その日の需要が分からないからです。余ったものは廃棄されます。一方、食べる物にも事欠く、という家庭の子もいます。そこで、余り物をパックに詰めて貧困家庭の生徒に持たせた校区がありました。フードロスと子どもの食事事情という問題を同時に解決しようとしたのです。