行いに表れる信仰
竜巻が、2021年の6月の夕刻、ある地区を襲い、1棟の納屋が倒壊しました。それは1800年代から受け継がれた納屋だったので、その家の人にとっては悲しい出来事でした。翌朝、教会に車で向かっていたジョンとバーブは、倒壊した納屋を発見し、何かできないかと考えました。車を止めて家の人に尋ねると、片付けの手伝いが必要とのことでした。2人は家に舞い戻り着替えて再訪すると、丸1日かけて、散乱した瓦れきやごみの片付けを手伝いました。2人は、人助けという行動で信仰を表しました。
前からも後ろからも読む
サスペンスを楽しむなら、推理小説を巻末から読むのはいただけませんが、結末が分かっているからこそ楽しめるという人もいます。
ソクラテスクラブ
ソクラテスクラブは、1941年、キリスト者と無神論および不可知論者の議論の場としてオックスフォード大学に設立されました。キリスト教系以外の大学で宗教論議をすることは欧米では珍しくありません。しかし、著名な学者でキリスト者のC・S・ルイスが、議長を15年間も勤めたことは驚きです。ルイスは自分の考えが試されることをいとわず、キリスト教は精査に耐える、合理的で信頼に足る証拠があると信じていました。
あなたを知っておられる
学校で辛かったことを悟られないように平静を装ったことがありました。しかし、母は「何かあったの?」と尋ね、続けてこう言いました。「『別に』と答える前に忘れないでほしいのだけど、私はあなたを産んだ、あなたの母親で、あなた以上にあなたのことを知っているの」。母は、私という人間を十分に知っているので、肝心な時にはいつでも味方になれると、いつも言っていました。
思いと祈り
祈っていると言われても、本当かしらと思うときがあるでしょう。しかし、エドナ・デイビスの場合は疑う余地がありません。信号機が1箇所にしかない小さな町の住人は皆、名前が各ページにびっしり記されたエドナの黄色いノートを知っていました。彼女は毎朝早く、声を上げて祈りました。全員の願いがかなったわけではありません。しかし、神にしかできないことが起きたと彼女の葬儀で証言した人たちは、それがエドナの熱心な祈りのおかげだったと信じていました。
確固たる前進
ある詩人は『休息』という詩の中で、「仕事」と「余暇」を二分する傾向に反論します。真の労苦なしに真の休息はあるのかと問い、真の休息を経験したいなら人生の義務から逃げるなと語ります。むしろ全力で取り組み、その経験を無駄にするな。そして、真の休息と喜びは、愛し仕えることを通して実現すると結んでいます。
十分に用心しなさい
数名の人が、雪崩の危険を告知する看板を通り過ぎ、スノーボードを始めました。2度目の滑走中、誰かが「雪崩だ!」と叫びましたが、1人は逃げきれずに巻き込まれて亡くなりました。未熟だと非難する人もいましたが、実は逆で、この人は、雪崩対策の講習を受けた協会認定の山岳スキーガイドでした。ある専門家は、雪崩に関して高度の訓練を受けた人たちの方が己の判断を過信する傾向にあり、この事故の原因は警戒を緩めたことだと語りました。
声を使う
リサは8歳の時から吃音(きつおん)に苦労していて人と話すことが苦手でした。しかし、スピーチセラピーを受けて障害を克服すると、人のために声を使う決心をしました。心の悩み電話相談のボランティアを始めたのです。
神の愛
カリフォルニアの実業家、フレデリック・レーマンは、1917年、経済的な大打撃を受ける中で賛美歌(新聖歌31番または教会福音讃美歌24番)を作詞しました。最初の2連はすらすら書けましたが、3連で行き詰まりました。彼は、刑務所の壁に書かれていたといわれる昔の詩を思い出しました。神の愛を深く悟った囚人が壁に刻んだものです。その詩は、偶然にも彼の詩と同じ拍だったため、それを採用しました。