破滅が壊される
妻のカリィは、明日には巣立つかもと興奮ぎみでした。軒下につるした籠にミソサザイが巣を作り、妻は鳥の家族を見守ってきたのです。母鳥が餌を運んでくる写真を撮って楽しんでいました。翌朝、彼女は早起きして、巣を見に行きました。かぶせてある草を動かすと、そこにいたのはヒナではありません。細い目の蛇でした。蛇は壁を這い上って巣に滑り込み、ヒナを食べてしまったのです。
不屈のピザ
イブラヒムは12歳の時、西アフリカからイタリアに移住しました。イタリア語は一言も知らず、吃音(きつおん)に苦しみ、移民排斥のいやがらせも受けました。しかし、くじけずに頑張り、20代でピザ屋を開きました。トレント市のその店は、世界のピザ屋トップ50の一つになり、懐疑的な人々を納得させました。
神に迎えられる
マイアミ大学アメリカンフットボール部のシャーマン・スミス監督は、ディランド・マッカロー選手を息子のように愛しました。父親を知らなかったマッカローはスミスを敬愛し、彼のような人になろうと努めました。そして、20年以上が経ちました。生みの母を探し出したマッカローは「父親の名はシャーマン・スミス」と聞かされたのです。スミスは自分に息子がいたことに、マッカローは父のように慕った人が実父だったことに驚がくしました。
神の救出
その無償の英雄的な行為から、彼を「守護天使」と呼ぶ人がいました。ジェイク・マナは、ソーラーパネルの設置工事をしていましたが、5歳の少女が行方不明になったと聞いて捜索に加わりました。近所の人たちが庭や車庫の中を探し回る一方で、彼は、近くの森に続く小道に入り、泥沼にどっぷりはまっている少女を見つけました。彼は慎重に沼の中を進んで行き、泥だらけの少女を無事引き上げました。少女の母親は心から感謝しました。
御子の光が反射する
不仲で疎遠だった母が、やっと会うと言ったのですが、そこは自宅から1時間以上もかかる場所でした。その上、そこに着くと、母はすでに帰っていました。私は怒ってハガキを書きましたが、神が「優しく」と促しておられる気がして書き直しました。すると、それを読んだ母が電話をかけてきて「あなた、変わったわね」と言いました。そしてイエスについて尋ねたのです。やがて母は、イエスを救い主として心に招きました。
誰もが拝んでいる
最近、ギリシャのアテネに行きました。古代の繁華街アゴラを歩いているとアクロポリス神殿の陰にアポロとゼウスの祭壇を見つけました。人々はこの街であらゆる神々を拝んでいたのです。
イエスにあって共に成長する
イエスを信じたばかりの人がバーブに「弟子になるのを助けてくれませんか?」と頼みました。バーブは戸惑いながらも、一緒に聖書を学び始めるのに適した教材を祈りつつ選びました。そして、キリストをさらに知るお手伝いができることに喜びを感じるようになりました。
移民の一家がスーの近所に引っ越してきました。彼女はその家族と親しくなり、子どもたちを家に招いて、自分の子どもたちと遊ばせました。救い主であり友であるイエスについてその母親に話し始め、一家を教会に誘いました。
ジェリーは同僚と話すとき、キリストを信じていることをできるだけ伝えます。信仰を押しつけはしませんが、誰かが興味を持っているようなら、もう少し詳しく話します。そして、もっと知りたいという人たちのために、昼休みに少人数で集まることにしました。
この人たちは、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)と言われたキリストの模範に倣っているのです。イエスが井戸で一人の女性に出会ったとき、その会話から彼女はイエスがメシアかもしれないと信じるようになりました(ヨハネ4:4-26)。そして、自分の村に走って帰り、他の人にイエスのことを伝えました(29節)。その結果、「その町の多くのサマリア人が……イエスを信じた」(39節)のです。
イエスは、私たちを愛し、ご自身のものとしてくださいました。神のものとなった今、私たちは、福音を世界に伝えるというイエスの使命を受け継いでいく特権をいただいています(マタイ28:19-20)。求められているのは、完璧な働きぶりではありません。神についてもっと知りたいという人に手を差し伸べ、共に歩むことです。私たちがそうできるように、神は助けてくださいます。
イエスは弟子たちに「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と命じられました。しかし、それは何を意味するのでしょう。私たちはどのようにこの使命に賛同し実行できるでしょう。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 イエスに従う価値
8日 羊飼いの声
15日 一つの必要なこと
22日 きらぼし
11月の祈りの課題
祈りの課題を更新しました。みことばを届ける働きを覚えて私たちと共にお祈りください。祈りによるご支援をありがとうございます。
イエスに従う価値
ロニットは宗教的な家庭で育ちましたが、イエスを信じる信仰は知りませんでした。どんなに祈っても、神の声は聞こえなかったそうです。聖書を学び始めると「イエスが救い主」とだんだん思い始めました。そして、決定的な瞬間が訪れました。「あなたは十分に聞き、十分に理解した。もう信じる時だ」という声が心に響いたのです。しかし、父親が激怒しました。