Month: 8月 2024

衝撃

世界中で毎年七十万人近い自死者がいると推定されています。その亡くなったひとりひとりには、通常六人から十人のサバイバー・親・伴侶・子ども・兄弟・親族・友人・知人がいます。ということは、この特殊な悲しみを味わう人々が世界中で毎年数百万人いることになります。私もその一人で、父を失いました。

父テリーは、電気工学の博士号を持つ有能な人で、宇宙からサテライト画像を使って地図を作成する技術を開発していました。ところがある年の十一月、脳卒中を患い、命は取り留めたものの左半身に麻まひ痺が残りました。リハビリで回復し始めましたが、脳卒中の影響で働けなくなり、絶望感に沈み鬱(うつ)病になりました。医療費のために一家が破産に追い込まれていると思い込み、希望を失ってしまったのです。

病を得て三ヶ月後、もうこれまでと部屋の戸を閉じ、命を断ちました。享年五十八歳でした。そのおぞましい知らせを電話で知らせてきた母は、むせび泣いていました。私は、ショックのあまり何も感じられませんでした。こんなことがうちの家族に現実に起きるなんて……。これからどうすればいいのだろうか。

家族や友人の自死は誰にとっても最大級の衝撃です。二度と元の生活には戻れません*。心身が混乱し、答えの出ない幾つもの疑問に悩みます。自死で先立たれることを、カウンセラーは「複雑な悲嘆」または「複雑な死別」と呼びます。それは二つのこと、家族をさまざまな状況で失うときの当たり前の「悲嘆」と「心的外傷(トラウマ)」が同時に起こるからです。心的外傷は、輪を掛けて精神と神経系統全体を打ちのめします。復員兵や無差別殺傷事件、震災犠牲者の遺族の経験に似ています。後々まで影響は残り、心身を休め癒やされて新たな生活をしようとする時の妨げとなります。

*米国で2020年に4万4,834人、日本では2021年に2万830人と報告された。WHOによると世界中で毎年推定70万人に上る。ほぼ45秒に1人、1日に約2千人である。ただし多くの自死はそのように報告されないか事故として処理される可能性があるため、実数はさらに多くなろう。

初めの衝撃の後も、悪い知らせを聞いた瞬間がふとよみがえることがあります。それは昼間起きている時だったり夜の夢の中だったりします。不安・パニック・怒り・集中力の欠如などがよくある症状です。慢性疼痛や消化不良を訴える人もいます。私たちの多くは、何か怖いことがまた起こるような気がするのと同時に、自分には何もできないという無力感から抜け出せないと感じます。

それとは逆に「機能停止」という症状が現れる人もいます。無感覚状態です。しかし、それ自体無害である物音・風景・匂いまたは何かの生理的感覚が、心の大嵐を呼び起こします。解決されていない心的外傷が、理屈に合わない恐怖・痛み・悲しみを引き起こします。元の事件がまた起きているかのように。重大な危険に直面し何もできなかったことが心と体に深く刻まれ、また起こるかもしれない事件への本能的な反応に影響を与えるために、強い緊張と無感覚の間を行き来したり、その両方を同時に体験したりする人もいます。

恐れやストレスを感じるときに、脳と体がすばやい「闘争・逃走反応」を起こすように神は人間を造られました。その場合、考える前に体が反応します。意志に関係なく、本能的に神経系統が働きます。しかし家族を自死で失うと圧倒的な無力感に襲われます。これが心的外傷です。何か空恐ろしいことが起こって、本能的に何か行動を起こしたいのにそれができない。愛する家族を守るすべが何もない。身を引き裂かれる痛みから逃れる方法もない。起きたことを頭から消し去る方法もない。

それで、遺族は二つのつらい現実に直面します。家族の死を悲しむことに加えて、自死という特別な心的外傷を抱えます。心的外傷後ストレス症候群(PTSD)は、悲しみを痛みと苦しみと無力感という心的外傷のレベルに引き上げ、回復過程を難しくします。まさにダブルパンチです。死別しただけでも大変なのに、心的外傷が耐えられないものになります。

他にも手強い感情があります。故人に裏切られ見捨てられたと感じるため、憤るのは当然の反応です。殺人事件なら、犠牲者を悼みつつ加害者に怒ることもできます。しかし、この場合、犠牲者本人が引き起こしたことなので、「どうしてこんなことを自分にできるのか。どうしてこんな別れ方ができるのか」と私たちは叫びます。自ら世を去った家族を嘆きつつ、当人に向かって腹を立てます。

容赦ない罪責感が心をむしばみます。「どうしてわからなかったのか。何とかして止められなかったのか。止めるべきだったのに」。看護師の母は、父が倒れた後、介護しました。鬱(うつ)の危険な症状は察していて打つべき手は全て打ちました。危険物は家から取り除き、経過観察のために入院もしましたが、それでも悲劇を防げませんでした。妻としても介護者としても失敗者だと強い自責の念に駆られました。

恥の感情も付きまといます。多くの地域では、自死・鬱(うつ)・精神疾患について話すことが、スティグマ(不名誉)もしくはタブー(禁忌)でもあります。実は恥が自死の要因また結果にもなりえます。鬱(うつ)や精神疾患を恥ずかしく思う地域では、必要な精神衛生上の助けを受けるためらいがあります。死んだ方が家族にとって良いと故人は考えたかもしれません。遺族も、恥ずかしさのために必要なサポートを得られないことがありえます。

遺族によっては、絶望感のあまり自己破壊的行為に及ぶこともあります。身近な人が亡くなったので死がより身近に思えます。故人の思いを理解しよう、その跡をたどろう、またその行動を繰り返そうとさえするかもしれません。ある遺族は、故人が使った銃を持って鏡をのぞきこんだ、バルコニーの柵に立って彼女はどのように飛び降りたのかと考えたと語ります。心痛を麻痺させるためにアルコールや薬物に逃げ込む人もいます。

この種の反応を避けるには具体的な行動が必要です。もしあなたが絶望感に悩んでいるなら、信頼できる友人に話を聞いてもらいましょう。身近な福祉行政またはキリスト教会から助けを得ることもできます。自己破壊的なことをしないようにあなたを支え見守ってもらいます。故人には何もしてあげられなかったかもしれませんが、今はあなたにもできることがあります。家族を失う悲しみを重ねないようにしたいものです。

究極的には、自分は独りではないと知る必要があります。家族を自死で失うと、自分の経験が分かる人など誰もいない、と世間から切り離された思いがします。確かに老衰・ガン・交通事故などによる「普通の死」とは違いますが、多くの人々が家族の自死を経験しています。あなた独りではないのです。

自死遺族の自助グループ*が、私の癒やしには不可欠でした。家族を自死で亡くした人が地域で集まり、互いに経験を分かち合う集いです。最初は、このような痛みや個人的な体験を、初対面の人に話すことがぎこちなく思えましたが、他の友人にはできない形で、同じサバイバーが安全な場所を提供してくれることを私は感謝するようになりました。このように心底打ちのめされたのは自分だけではない、と知る必要がありました。このトラウマを通って生き延びている人たちがいるのだから自分にもできるのだと。あなたも必ず生き続けることができます。

*日本の自死遺族自助グループは一般社団法人全国自死遺族連絡会(https://www.zenziren.com/)などで見つかる。クリスチャンによる自助グループは、ナインの会(https://nain-christian.com/)がある。

正義の神

ライアンは10代の時に母親をがんで亡くし、やがてホームレスになり、学校を中退しました。いつもお腹を空かせ、絶望していました。長い年月の後、彼は子どもたちの自立を支援するNPOを設立しました。自分たちで野菜を育て食事を賄う力を養うのです。その信念は、食べられない人を作らない、持つ人が持たない人を助けるべきだというものです。ライアンの思いやりは、神の正義とあわれみと共鳴しています。

待つかいがある

待ち時間の話をしましょう。搭乗予定の飛行機は雷雨の影響で遅れ、フィル・ストリンガーは、18時間も忍耐強く待ちました。その成果は、目的地まで飛び、重要な会議に間に合ったばかりか、他の客が待ちきれず予定を変更したので、唯一の乗客になったことでした。客室乗務員は、希望する食べ物を何でもくれました。彼は言いました。「もちろん最前列に座ったよ。飛行機を独占できるのに、そうしない理由はないだろう?」待ったかいがあったというものです。

イエスのように生きる

カラフトフクロウはカモフラージュの達人です。その銀灰色の羽は、木に止まったときに周りの樹皮の色に溶け込むような模様になっています。自分の姿を隠したいときは、その羽を使ってカモフラージュし、景色の一部となって見つからないようにするのです。

砂漠の地

若い頃、高揚感の中で主のご臨在を感じるときに信仰が成長すると考えていました。しかし、盛り上がった気持ちは長続きせず、信仰の成長もありませんでした。作家のリナ・アブジャムラは、神と出会って成長するのは、砂漠の体験の中だと語ります。神の目的は、人生の砂漠の体験を用いて私たちを強くすること。彼女はバイブルスタディーのための著書『砂漠で』でそう述べています。神が良いお方だと知るのは、苦しみに遭わないときではなく、苦しみの真っただ中でです。

宇宙開発競争

アメリカ合衆国が、1955年7月29日、人工衛星の打ち上げ計画を発表するや、ソ連も同様の計画を発表し、宇宙開発競争が始まりました。ソ連は最初の人工衛星(スプートニク)を打ち上げ、次にユーリ・ガガーリンが、人類初の有人宇宙飛行をして、地球を1周しました。1969年7月20日、米国のニール・アームストロングが、月面に着陸。「人類にとっての偉大な飛躍」を成し遂げ、この競争は暗黙裏に終結しました。やがて、協力の時代が始まり、各国の協力で国際宇宙ステーションが建設されました。

新たな歩み

拍手喝采の中、成績優秀者に続いて、著しく前進した生徒たちが表彰されました。赤点ラインからの脱出、問題行動の解決、授業への出席や参加などを目指して1年間頑張った人たちです。この生徒たちの親は、過去ではなく、良い方向に歩み出した我が子の今を見て、笑顔で喜びました。

悔い改め

友人が結婚の誓いを破り、家族を傷つけました。そして、妻に赦(ゆる)してほしいと言うのです。私は、口先の謝罪だけではダメだと言いました。彼女に対する愛を行動で示し、罪に無頓着な態度と決別しなければならないと。

神の皿

その女性は、成人した娘が、有効なメンタルクリニックの治療を受けられるように、祈りつつサポートしていました。しかし、「そう」と「うつ」を激しく繰り返す娘を心配するあまり、自分も疲れ切っていました。そして、自分の健康も大切だと気付いた時、友人がある提案をしました。ベットの横に「神の皿」を置き、自分の力ではどうにもならない心配事を小さな紙に書いて、その皿に置くというものです。それでストレスが解消したわけではありませんが、それらの心配事は「自分の皿」ではなく「神の皿」にあると気付くことができると言いました。