謙虚な愛
米国の偉大な政治家ベンジャミン・フランクリンが経験から得た12の美徳を挙げると、友人から「謙譲」を加えるよう提案され、それに同意して項目を追加しました。フランクリンの13徳と言われるものです。そして謙譲については、イエスを見習うべき模範のひとりに挙げました。
名前を呼ばれる
広告業界の人は、人の注意を最も引く言葉は自分の名前だと言います。そこで英国の某テレビ局は自社のネット放送に、視聴者をそれぞれの名前で呼ぶ広告を導入しました。テレビで自分の名前を呼ばれるのは面白いかもしれませんが、親しい人に名前を呼ばれたときの気持ちと同じではありません。
父の助言
出版社をリストラされ、新しい仕事を求めて神に祈りました。しかし、求職情報を探し履歴書を送っても良い結果は得られず、私は苛立ちました。ついに「私には仕事がどんなに大切か、お分かりにならないのですか」と神に抗議しました。
暖かい歓迎
スティーブに癌が見つかりました。しばらく教会に行けないと分かり「誰がみんなをハグするんだい」と言いました。スティーブは暖かい握手と「聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい」(ロマ16:16)を現代風にした「聖なるハグ」で教会に来る人を暖かく迎えてくれる人です。私たちはスティーブの癒しを祈っています。一方、スティーブ自身は、自分が手術や治療で教会から遠のいている間に、暖かい挨拶が教会でなおざりにならないように願っています。
完全な父
混みあった店のカードの棚の前で、私が送るにふさわしい父の日のカードを探していました。長年の冷え切った関係は回復したものの、私は一度も父を親しく感じたことはありません。隣にいた女性は、持っていたカードを棚に戻しながら「父親とうまくいっていないけど、すべきことをしたい、という人のためのカードを誰か作ってくれないかしら」と呟き、その場を立ち去りました。
顔
孫のサラは幼い頃、人は死んだら身体を残して顔だけが天国に行き、そこで新しい身体を頂くのだと言っていました。もちろん、私たちの永遠に関するサラの見解は幼稚ですが、彼女は根本的な真理をつかんでいます。つまり、私たちの顔はある意味で、私たちのたましいを映し出す鏡だということです。
純粋な真理に立って
以前、国際結婚の挙式に呼ばれたことがあります。文化の融合は美しくもありますが、この結婚式にはキリスト教の伝統に多神教の儀式が混ざっていました。
ともに働こう
古代社会では、壊れた城壁は戦いに敗れて人々が危険と恥にさらされていることを意味しました。それでユダの人々はエルサレムの城壁を再建しようとしたのです。彼らは協力してこの事業を担い、その詳細はネヘミヤ記3章に記されています。
盲人の必死の願い
数年前、私が遠くのものを見にくそうにしていると気づいた友人が、自分の眼鏡をはずして「これを試して」と言いました。その眼鏡をかけると驚いたことにはっきり見えるではありませんか。それで検査をして眼鏡の処方箋を書いてもらいました。