Category  |  キリストのように生きる

危険物

サイレンの音が段々と近づき、トラックが耳をつんざく音を立て猛スピードで通り過ぎました。車のフロントガラスから点滅灯に照らされた「危険物処理」の文字が見えました。後からニュースで化学薬品工場の貯蔵タンクから硫酸が漏れ出たと知りました。大惨事になりかねない緊急事態だったのです。

神にかかわる会話

バーナグループの2018年の調査によると、大半のアメリカ人は神について話したがらないと分かりました。信仰にかかわる会話が日常的にあると答えた人は、回答者の7パーセントだけでした。教会に行っている人もほぼ同じで、週に一度ぐらいはするという人でさえ13パーセントでした。

認められたい

作曲家ヴェルディ(1813-1901)は若い頃、認められたい一心で頑張りました。ウォーレン・ワーズビーの記述によれば、処女作のオペラがフィレンツェで演じられたとき、彼は物陰から客のひとりを注視していました。ヴェルディにとって聴衆の反応は大したことではありません。切なる願いは、この男性、巨匠ロッシーニの顔に承認の笑みが浮かぶことでした。

最期まで実り豊かに

レノア・ダンロップは94歳でしたが、明るく頭脳明晰で、イエスを愛していることは誰の目にも明らかでした。教会の若い人たちの輪にいることもまれではありません。いっしょにいてくれると嬉しい人でした。あまりに元気だったので、突然の死は驚きでした。亡くなる数日前に異文化宣教の16週間の講座を修了したほどでした。彼女は強い陸上選手のように人生を全力で駆け抜けました。

やったー!

中学一年生の少女が3キロ走の大会を欠席すべきか迷っていました。練習はしましたが、自信が無かったのです。しかし、やることにしました。当日、同級生たちが次々とゴールする中、この少女は現れません。やがて、ひとりで遠くを走る姿を母親が見つけました。そして、打ちひしがれていたら慰めようとゴールで待機しました。ところが、娘は母を見ると「やったー!」と叫びました。最下位でなぜ?でも、彼女はやったのです。完走したのですから。

これが私

ミュージカル映画「グレイテスト・ショーマン」の劇中歌「ディス・イズ・ミー」(これが私)は迫力ある歌です。これを歌う人物は、社会の「普通」から外れていたために、言葉の暴力やいじめに苦しみました。彼女は、言葉は心を傷つける弾丸やナイフのようだと歌います。この歌の人気は、どれほど多くの人が、言葉という武器で心を傷つけられたかを示唆しています。

ヤコブは、言葉の潜在的な危険性を理解し、それは「少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています」(ヤコ3:8)と語りました。驚くような強い表現ですが、言葉の持つ危険な力に早く気づくべきだと考えて、このように述べたのでしょう。また、神をほめたたえたその口で、次の瞬間には、神にかたどって造られた人を傷つけるという矛盾も指摘しています(9-10節)。

前述の「ディス・イズ・ミー」も言葉の暴力を非難し、私たちはみな素晴らしいと訴えます。聖書も各々に尊厳と美があると語ります。それは姿かたちや、何ができるかではありません。一人ひとりが神の傑作だからです(詩139:14)。私たちの互いに対する言葉は、その真理を明らかにする力があります。

落ち着いた生活をする

子ども時代に「大きくなったら何になりたい?」と聞かれたことがあるでしょう。大人にさえ質問するかもしれません。好奇心から聞くのですが、その答えで野心的かどうかを計られることが少なくありません。私の場合はカウボーイから始まって、トラックの運転手、軍人と変わり、大学では医者を志しました。「落ち着いた生活」を目指したことは別段ありません。ところが使徒パウロは、テサロニケの教会の人々にそれが大切だと説きました。

待つ価値がある

東京の渋谷駅前に、飼い主に対する並外れた忠誠心で知られる秋田犬ハチの像があります。大学教授だった飼い主は渋谷駅から通勤していました。ハチは毎朝、飼い主と一緒に駅まで歩き、夕方、電車が着く頃に出迎えました。しかし、ある日、飼い主は駅に現れません。職場で亡くなったのです。しかし、ハチは自らが死ぬまでの9年余り、毎日、同じ時刻に駅に現れました。雨の日も風の日も、飼い主が帰って来るのを忠実に待ち続けました。

偽善者に対する神の心

南アフリカのクリケットの選手が、2016年の試合で不正をしたとき、別の選手は「僕のチームの誰かがそんなことをしたら失望する」と言いました。しかし、わずか2年後、当の選手が、同じようなスキャンダルを暴かれました。