兄弟サウロ
交換留学生になった時、私は「あの国以外に遣わしてください」と祈りました。行く先は未定でしたが、行きたくない国ははっきりしていました。その国の言葉はできず、国民性や習慣に関しても偏見を持っていました。
聖書を学ぶ
最初は1877年にカナダのモントリオールで、続いて1898年にはニューヨークで、それは始まりました。1922年までには、北米の約5千カ所で、子供の夏季聖書キャンプが開かれるようになりました。これが、バケーションバイブルスクール(VBS)の前身です。VBSの先駆者たちは、若者が聖書を知ることを強く願っていました。
変化のゲーム
大学バスケットボールチームの選手、1人は黒人、もう1人は白人が、1963年3月のある夜、人種差別主義者の憎悪をよそに握手しました。米国ミシシッピ州には、白人のチームは黒人のいるチームとは戦わないという不文律があったので、これは州史初のことでした。ミシシッピ州立大学チームは「変化のゲーム」と後に呼ばれるこの試合のため、反対する地元の目を策を講じてくぐり抜け、州を出て、シカゴのロヨラ大学と対戦しました。一方、ロヨラ大学の黒人選手は、遠征中に物を投げられたり、施設を締め出されたりと差別されました。
友と敵
アメリカの神学者ケネス・E・ベイリーは、国際社会で独自路線を行くアフリカ某国のリーダーについて語りました。その国はイスラエルと周辺諸国の双方と良い関係を築いています。不安定な情勢の中でバランスを保つ方法を尋ねられ、彼はこう答えました。「私たちは友を選びます。そして彼らに私たちの敵を選ばせません」
この愛は本物
足元をすくわれるとはこのことです。婚約者の裏切りが分かったのです。その前の恋人も不実でした。ですから、初めてのバイブルスタディーで、神は愛だと聞くと、ジョジーは「これも詐欺かしら」と思いました。信じたら、また傷つくのではないかしらと。
ヒヒ、ろば、私
ジャックは有能な信号手でした。南アフリカのヴィテンヘイズ駅で、汽笛で進路を知らせる汽車に対応し、9年間の勤務で分岐器の操作を誤ったことはありません。ジャックは、駅員のジェイムズ・ワイドに飼われていたチャクマヒヒでした。ワイドは線路に落下し、汽車にひかれて、両足を失いました。彼はジャックを訓練して家事や仕事を手伝わせました。するとやがて、進入する列車が発する信号に応じて分岐器の正しいレバーを引くことを覚えたのです。
必要を見て取る
父が亡くなる数日前、看護師のレイチェルが病室に立ち寄り、ひげをそりましょうかと尋ねました。そして、優しく顔を当たりながら「この年代の男性は、毎日のひげそりが大切ですね」と話しました。彼女は父の気持ちを察して、敬意を持って主体的に行動しました。その親切は、高齢の母親のマニキュアを塗ってあげる友人のジュリーと同じです。彼女の母にとって、きれいだということが大切だからです。
イエスの話をし続ける
イエスの話をしないように要請されたことがあると、クリスチャンの音楽家が言いました。イエスのために……と言わなければ、もっと人気が出て稼げるし、貧しい人を助ける寄付も増やせるといいます。しかし、彼は熟慮の末、「私の音楽の目的は、キリストを証しするため。沈黙はできない」と決断しました。自分には、イエスのメッセージを伝えるはっきりとした召しがあると語りました。
謙虚になる日
面白い「記念日」があります。日本の2月には、「ピカチュウの日」とか「にわとりの日」とか「気くばりの日」などというものがあります。今日は、米国では「『謙虚になろう』の日」です。確かに謙虚は美徳ですから、祝う価値があります。しかし、常にそうだったわけではありません。