Category  |  人間関係

イエスのために咲く

アムステルダムに旅行した娘のお土産はチューリップの球根でした。私は大喜びを装いましたが、実はチューリップが好きではありません。咲くとすぐにしおれるし、7月は暑すぎて植えるわけにはいきません。

偏見と赦し

不義を正すという礼拝メッセージの後、ある教会員が、黒人であることを理由にその牧師の招へいに反対票を投じたと告白し、涙を流して赦しを乞いました。「どうか赦してください。私の人種差別や偏見を我が子に継がせたくありません。私が間違っていました。」牧師は彼の涙の謝罪を受け止め、赦しました。その人は次の週、神に変えていただいたというあかしをし、教会の皆が喜びました。

耳を傾け、学ぶ

その家の庭には星条旗を羽織った大きな白頭ワシのビニール人形。駐車スペースに停めた大きなトラックの横窓には国旗が描かれ、後部には愛国的なバンパーステッカーがたくさん貼られています。一方、道路を挟んだ向かい側の家の庭には、昨今のニュースで注目された社会的正義のスローガンが掲げられています。

嘆きの中の希望

ロンドンのタクシー運転手は、空港に向かう車内で、身の上話をしてくれました。戦争と貧困から逃れて、単身15歳でイギリスに渡り、11年経った今、家庭を持ち、家族を養うことができています。母国ではあり得ない幸いですが、今も親兄弟と離れ離れで辛いと嘆いていました。困難な旅路は、家族と再会するまで終わらないと語りました。

信仰について語る

プレゼンが苦手で悩むアランに助言を求められました。人前で話すと動悸がして口が渇き、赤面するといいます。これは多くの人が悩む社会恐怖のひとつです。私は、失敗の恐怖を克服するためには、言葉の巧みさを追い求めず、伝えるべき内容に焦点を絞ることだと助言しました。

優しさという遺産

マーサは小学校の教諭助手として30年以上働く中で、毎年、お金を貯め、新品のコートやマフラー、手袋を貧困家庭の児童に買っていました。彼女は白血病で亡くなり、偲ぶ会に集った人は、お花代のかわりに何百着ものコートを貧困家庭の小学生のために寄付し、故人の数々の温かい思いやりを語り合いました。同僚の教師たちは、マーサを記念するコートの寄付運動を3年間、毎年行いました。マーサは地域に優しさという遺産を遺し、貧しい人に気前よく仕える働きが推進されました。

信仰のあかし

作家で伝道者のベッキー・ピパートが外国に住んでいた時のこと。行きつけのネイルサロンのヘザーに福音を伝えたかったのですが、きっかけがつかめません。そういう話には興味がないようでした。それで、祈ってから出かけました。サロンで古い雑誌をめくっていると、あるモデルの写真に釘付けになりました。ヘザーが「どうしたの」と尋ねたので、そのモデルは自分の友だちで、以前、ヴォーグ誌の表紙を飾ったのだと話しました。そして、彼女がイエスを信じたいきさつを語ると、ヘザーは熱心に聞いてくれました。

神の御国

母は長い人生、色々なことに尽力しましたが、中でも、幼い子どもたちにイエスを知って欲しいという情熱は途切れたことがありませんでした。私は教会が子どもの伝道の予算を削って、もっと「重要なこと」に使おうと言い出した時、母が公然と反対する姿を何度も見てきました。「夏休みを取ったのは、妊娠していた時だけ」と母から聞いていました。それで計算してみると、母は55年間も教会で子どもたちに仕えてきたのです。

賢い人が家を建てる

イザベラ・ボームフリーは、1797年、ニューヨーク州のエソパスに奴隷として生まれました。自分の子も、ほとんどが奴隷として売られました。しかし、1826年、娘ひとりを連れて逃亡し、支援を得て自由の身になると、家族離散を強いた不当な習慣に対して訴訟を起こし、幼い息子のピーターを取り戻しました。当時の黒人女性としては、驚くべき偉業です。彼女は、神の助け無しに子育てはできないと悟ってキリスト者となり、ソジャーナ・トゥルースと改名しました。これは「真理の寄留者」という意味で、神の真理を基として生きることを示したのです。