Category  |  キリストのために生きる

まことを尽くすという選択

トルストイの小説『家庭の幸福』のセルゲイとマーシャが出会ったのは、田舎育ちのマーシャが若く世間知らずの時。セルゲイは旅慣れた年長のビジネスマンでした。ふたりは恋に落ち結婚し、田舎に住みますが、マーシャは単調な生活に飽きてしまい、ふたりは気晴らしにサンクトペテルブルクに旅行します。そこで美しいマーシャは人気者になり、帰る間際には王子から会いたいと言われます。セルゲイは無理に帰ろうとはせず、妻の良識にゆだねます。しかし、マーシャはセルゲイの信頼を裏切るのです。

小さくても力持ち

細く甲高い鳴き声が北アメリカのソノラン砂漠で聞こえることがあります。何の声かといぶかるかもしれませんが、これは縄張りを主張するバッタネズミの遠吠えです。これはオオカミネズミという異名を持つ肉食の小動物で、他の動物なら避けて通るサソリなどを捕って食べます。サソリの毒を中和するだけでなく、痛み止めに変えることができるという非常に特殊な能力を有しています。この過酷な環境の下で生き残り繁栄するように、わざわざそう造られたかのようです。このような有様は、使徒パウロがエペソ人への手紙2章10節で述べている神の御業の特徴を想起させます。

書かれた目的

エティ・ヒレスムは「主は私の高きやぐら…私たちは歌いながら収容所を発った」とハガキに綴り、それを汽車から投げ捨てました。1943年9月7日。これが、私たちの知り得る彼女の最後の言葉です。同年11月30日、エティはアウシュビッツで殺されました。後に、彼女の日記が発見され、翻訳出版されました。それはナチス占領下の恐怖と神の世界の美の記録です。現在67言語に翻訳された「エティの日記」は、悪だけでなく善の存在をも信じる、すべての読者への贈り物です。

キリストにしがみつく

チャールズ・ブロンディンは、1859年の夏以来、何度もナイアガラ瀑布の綱渡りに成功しました。ハリー・コルコードを背負って渡ったこともあります。その際、彼は言いました。「上を見ろ。君はもうコルコードではなくブロンディンだ。俺が揺れる時は一緒に揺れろ。自分でバランスを取ろうとするな。そんなことをしたら、ふたりとも死ぬぞ。」

恵みによって強められる

南北戦争時、敵前逃亡は死罪でした。しかし、北軍の最高司令官アブラハム・リンカーンは、ほぼすべての脱走兵に恩赦を与え、処刑は稀でした。この寛大な処置は兵士の脱走を助長すると陸軍長官エドウィン・スタントンは激怒しましたが、リンカーンは、激戦に怖気づいた兵士たちをあわれみました。兵士たちは彼の共感力ゆえに「父なるアブラハム」とリンカーンを慕い、この人のために頑張ろうと奮起しました。

すべてをささげる

芸術を極める途上でイエスと人々に仕えるために方向転換をした人たちがいます。ジェームズ・O・フレイザー(1886–1938)は、コンサートピアニストになる夢を捨て、中国のリス族のために尽力しました。聖歌541番「みなささげまつり」を書いた米国人のジャドソン・ヴァン・デーフェンテル(1855–1939)は、芸術家の道を捨て、巡回伝道者になりました。

透明人間の神

スポーツジムの掃除係の人が「自分は透明人間みたいと時々思うけれど、神に用いられたいわ」と打ち明けてくれました。彼女は昔、麻薬常習者で売春婦だったそうです。しかし、吸引用のパイプを捨て、主とともに歩むことがみこころと分かっていました。ついにイエスに降参し、解放されたと言います。私は感謝して「あなたは透明人間ではなく、人生を変える神の力を思い出させるために、私に遣わされた神の器だ」と言いました。

最高の物をささげる

ホームレスの支援団体で山積みの中古靴を見て驚きました。教会のユースグループが寄付された靴の整理を頼まれたのです。青年たちは、半日かけて使える靴を選びましたが、半数以上は処分しなくてはなりませんでした。再利用するには傷みすぎていたからです。その団体は、人が傷んだ物を寄付するのを止められなくても、それをホームレスに支給しないと決めていました。

故郷に帰る

ウォルター・ディクソンは、5日間の新婚旅行から帰ると朝鮮戦争に出兵しました。それから1年も経たないうちに、ポケットに妻からの手紙が詰まった彼の上着が戦場で見つかりました。軍の当局は、彼の若妻に夫の戦死を告げました。ところが、ディクソンは生きていました。捕虜だった2年半の間、眠っている時を除いては、常に帰還の策を練っていました。5回の脱走を試み、その度に捕まりましたが、ついに自由を得ました。彼が戻った時の皆の驚きは、どれほどだったでしょう。