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真摯に祈る

友人のルーは、ブルガリアのある村で高齢の女性から「あなたのために50年間、祈ってきました」と言われ、深い感謝のまなざしで彼女を見つめました。彼の父は、10代になるまでその村で暮らしました。彼女は隣の家に住むキリスト者で、ルーの誕生の知らせを聞くやいなや、彼のために祈り始めたと言います。半世紀以上が経ち、ルーは仕事でその村に来ました。そして自分の信仰について話したところ、彼女が近づいて来たのです。彼は、自分の救いと彼女の忍耐強い祈りについて思いを巡らせました。信仰を持ったのは、30歳近くになってからだったのです。

神の恵みの豊かさ

バナナを8本ほど買ったつもりでしたが、配達された袋を開けると、20本入っていました。私はすぐに、英国に来たのだから、食品の重さは、ポンドでなくキログラムだと気付きました。私は、3ポンド(1.35キログラム)ではなく、3キログラムのバナナを注文したのです。

あなたは愛されている

少女アリーは「ほんとに悲しい。誰も遊んでくれない。たった一人の友だちもいなくなった。毎日泣いてる」と公園の木片に書き残しました。それを見つけた誰かが、チョークを側に置いて、「アリーへのメッセージを書いて」と記しました。近所の学校の生徒たちが、「愛しているよ」「神さまは愛しているよ」「あなたは愛された者!」など、たくさんの応援メッセージを書きました。校長は言いました。「これはちょっとした行為ですが、彼女に手を差し伸べ、心の空洞を埋める一助になるかもしれません。アリーとは私たちのことです。誰もが、どこかの時点で、悲しみを経験するのです」

私を用いてください

ジェームズ・モリスは「読み書きはできないが温厚な平信徒」と言われていましたが、神は彼を用いてオーガスタス・トップレディをキリストの救いに導かれました。トップレディは不朽の賛美歌「千歳の岩よ」を書いた18世紀の牧師ですが、モリスの説教を聞いた時のことを次のように述懐しています。「私は、神を信じる一握りの人たちと納屋で会し、自分の名前さえ書けない人の説教を通して、神に近づくことができた。それは確かに神の御業で、驚くべきことだ」

癒やされる希望

脊椎損傷で半身不随の人に新たな希望が生まれました。ドイツの研究者たちが、神経の成長を刺激して筋肉と脳をつなぐ神経経路を再生する方法を発見したのです。この方法で身体がまひしたマウスを歩かせることができました。この治療法が人間にも安全で有効かどうかを検証する研究は、今後も続けられていきます。

シェブナの墓

アイルランドの詩人イェイツは、頂上が平らな故郷の山、「ベン・ブルベンの麓」に葬られたいと願っていました。彼の最後の詩集には同名の詩が収められています。その最後の3行が墓碑に刻まれています。「冷たき眼を投げかけよ 生と死に 馬に乗った人よ、過ぎゆけ!」

キリストにきよめられる

初めて参加した短期宣教旅行の行き先はブラジルのアマゾン川流域のジャングルでした。ある日、地域の家を訪問すると、珍しく浄水器がありました。濁った井戸水の汚れが数分で取り除かれ、きれいな飲み水に変わりました。私の心にキリストにきよめられるというイメージが浮かびました。

自分自身を救おうとする

ニューヨーク市が以前、「動かず、安全に」と大規模な啓蒙(けいもう)活動をしました。エレベーターに閉じ込められた際の行動を教示するためです。そのような事故に遭遇した人の中には、ドアを無理にこじ開けようとしたり、自力で脱出を試みたりして亡くなった人がいました。最善の行動は、非常ボタンを押して救助隊の助けを待つことです。

開かれた目

ジェナビーブはアフリカ西部のベニン共和国に住む母親で、先天白内障を患う3人の子どもがいます。村に子どもたちを連れて行くときは、赤ん坊を背負い、2人の子の手を両手にしっかりつかみ、危険を見逃さないように目を光らせます。盲目は魔術のせいだと考える文化の中で途方に暮れ、神に助けを求めていました。