Category  |  祈り

真に生きる

米国のエド・ドブソン牧師がALSと診断されると、非常に多くの人が彼の癒やしを祈り、信じて祈ればすぐに癒やされると思っていました。しかし、進行性の病気と闘い続けて12年、亡くなる3年前のことです。ある人が「なぜ癒やされないと思いますか」と尋ねました。彼は言いました。「それは健全な答えのない質問です。ですから、私は問いません」。妻ローナも「答えを求めることに執着すると、真に生きることはできません」と言いました。

真摯に祈る

友人のルーは、ブルガリアのある村で高齢の女性から「あなたのために50年間、祈ってきました」と言われ、深い感謝のまなざしで彼女を見つめました。彼の父は、10代になるまでその村で暮らしました。彼女は隣の家に住むキリスト者で、ルーの誕生の知らせを聞くやいなや、彼のために祈り始めたと言います。半世紀以上が経ち、ルーは仕事でその村に来ました。そして自分の信仰について話したところ、彼女が近づいて来たのです。彼は、自分の救いと彼女の忍耐強い祈りについて思いを巡らせました。信仰を持ったのは、30歳近くになってからだったのです。

天の父を呼ぶ

米国のハリー・トルーマン大統領が、第2次世界大戦の終結を宣言した数分後、ミズーリ州グランドビューの小さな家の電話が鳴り、92歳の女性が席を立ちました。「もしもし。ええ、元気よ。はい、はい、ずっとラジオを聴いていたわ。できればこっちにも来てちょうだい。それじゃあね」。そして、客のところに戻ると、「今のは息子のハリー。素晴らしい子よ。電話があると思ったわ。何かが決着すると、いつも電話をくれるから」と言いました。

謙虚なヨルン

小作人のヨルンは、弱視で健康に問題もあり、大したことはできないと思われていました。しかし、彼はノルウェーの故郷の村人に献身的で、痛みで眠れない夜はいつも、彼らのために祈りました。村の家を一軒ずつ思い浮かべ、村人の名前を一人一人挙げて、面識のない子どもたちのためにさえ祈りました。村人は彼の優しい心根を愛し、知恵や助言を求めました。仮に、具体的な助けが得られなくてもヨルンの愛を感じ、祝福された気分で帰っていきました。ヨルンは身寄りがありませんでしたが、亡くなった時、葬儀には過去になく大勢が参列しました。また、彼の祈りは花開き、想像以上の実りをもたらしました。

神は召し、備えられる

国際書籍博覧会における担当は、施設内のラジオ放送の監督だと上司に言われ、私は怖くなりました。それは全く経験のない仕事です。私は祈りました。「神よ、そういう仕事の経験は、私にはありません。どうか助けてください」

祈りは大切

私は「カード・ミニストリー・チーム」の一員です。毎週、色々な祈祷課題がやって来ます。「次の検査のために」「子どもたちが教会に戻りますように」「最近、妻を亡くしたデイブが慰められますように」などです。私たちは祈り、課題の送り主に手書きのカードを届けます。課題は山積み。我々の努力は大海の一滴のようです。そんな気持ちが変わったのは、デイブから心のこもった礼状が届いたからです。そこには、亡くなった妻に対する敬愛の言葉が記されていました。私は改めて、祈りの大切さを認識しました。

目を覚まして祈る

霊の戦いをするときは熱心に祈るべきです。一方、フロリダ在住のある人は、祈る方法を間違えると非常に危険だと学びました。彼女は、ある日、運転中に目を閉じて祈り、一時停止の標識を見落としました。交差点を突っ切って住宅の庭に突っ込み、出られなくなったのです。幸いけがはありませんでしたが、危険運転と器物破損で違反切符を切られました。この祈りの戦士は、エペソ人への手紙6章の「目を覚まして」(18節)という大切な部分を見逃してしまったようです。

心地よい眠り

悪い思い出や非難の数々がよみがえり、ソルは寝付けませんでした。心は恐怖で満たされ、じっとり汗をかいています。明日は洗礼式なのに、どす黒い思いが襲来します。イエスの救いを受け入れ、己の罪は赦(ゆる)されたと分かっているのに、霊の闘いは続いていました。その時、妻が手を取って祈ってくれました。すると、恐怖が消え、平安が訪れました。彼は起き上がり、洗礼前に話す証しを書きました。それまで出来なかったのです。その後、心地よい眠りにつきました。

神の賢明な目的

英国では歴史上の人物や重要な出来事を記念する銘鈑をあちこちで見かけます。中には英国式のユーモアを示すものもあります。例えば、イングランド南東部のサンドウィッチには「1782年9月5日。ここでは何も起こらなかった」と記された古びた銘板があるのです。