Category  |  神の愛

ぎゅっと抱きしめる

溢れんばかりの愛情を詰め込んだ大きなクマのぬいぐるみが孫に贈られました。孫は初めは不思議がり、次には驚き、そして好奇心にかられて手を出しました。ぷっくりした指で鼻をつつくと、クマが腕の中に倒れてきて大喜びし、自分の頭をクマの柔らかい胸に押し当て、ぎゅっ と抱きしめました。ふかふかのぬいぐるみに自分をうずめ、満面の笑みを浮かべました。ぬいぐるみが愛したり喜んだりはできないと、幼子は知りません。それで、無邪気にクマの愛を感じ、自分もクマを愛していました。

愛は捜し続ける

携帯電話やポケベルが無い時代、私は19歳で実家から千キロ以上離れた土地に引っ越しました。毎朝、母に電話する約束でしたが、ある時、それを忘れて出かけました。その夜、ふたりの警察官が家に来ました。それまで電話を忘れたことが無かったので、母が心配したのです。何度電話しても話し中だったので、警察に様子を見て来て欲しいと頼んだそうです。警察官は「愛情深く捜し続けてくださるお母さんで幸せですね」と言いました。

来て、受けなさい

裏のぶどう畑の柵越しに外をのぞくと、隣接する公園の周りを人々が走ったり、歩いたりしているのが見えました。若くて元気だったときは、自分もああだったと思うと、急に気分が塞ぎました。後で聖書を読んでいると「ああ。渇いている者はみな、…出て来い」(イザ55:1)というみことばが目に留まり、私は渇きというものは人生につきものなのだと改めて思いました。どんな良いことやものでさえ、人を完全に満足させることはできません。たとえ、私がヒマラヤのシェルパのような強健な脚を持っていたとしても、別のことが面白くないでしょう。

大切な時

救急車の扉が閉まりかけている時、薄れていく意識の中で、車外で妻に電話をしている息子の名前を呼びました。息子によれば、私は「ママに愛していると伝えて」とゆっくり言ったそうです。

野の花のように咲く

生後2か月の孫は、見る度に少しずつ成長しています。最近、彼をあやしていると、私をじっと見て、にっこりしました。突然、私の目が涙で溢れました。ずっと昔、我が子が初めて笑ったときの喜びが、よみがえってきたからかもしれません。ずいぶん前のことですが、つい昨日のことのように感じます。人生には言葉では説明できない瞬間があるものです。

説明できない愛

教会の人たちが息子の6歳の誕生日を祝ってくれました。日曜学校の教室を風船で飾り、ケーキを机に置いて、息子が来るや否や、みんなで「誕生日おめでとう」と叫びました。息子は「ママ、教会のみんなは、なぜこんなに僕によくしてくれるの」と小声で尋ねました。私も同じことを考えていました。この小さな教会に移って半年しか経たないのに、長年の友だちのように扱ってくれたからです。

神に囲まれて

混雑した空港で、若い母親が孤軍奮闘していました。幼い子どもが、飛行機に乗りたくないと、泣き叫び、床を蹴って駄々をこねています。手に負えない状況の上、彼女は身重で、途方に暮れて床に座り込むと、顔を覆ってすすり泣きました。

芸術作品

祖母は手芸が得意で、私の人生の節目にはいつも手作りのお祝いをくれました。高校卒業時にはモヘアのセーター、結婚祝いにはキルトをもらいました。そして裏には「祖母より愛を込めて」と刺繍されていました。それを読むと彼女の愛と将来に対する希望を感じました。

比べられない

若い大人が高校生になりすまして彼らの生活を調査するテレビ番組で、高校生は自分の価値を主にソーシャルメディアで判断すると分かりました。観察の結果「自分の価値はSNSに投稿した写真に付けられた『いいね』の数だった」と言う人もいます。人気が欲しくてネット上で極端な行動を取る人もいます。