Category  |  神の愛

思い切れない

ラジオ番組の司会者が、いつまでも思い切れないことは何ですか、と質問すると、リスナーが電話をかけてきて、亡き妻との思い出など、家族のことを話しました。また、音楽家や母親になるなど、捨てきれない夢を語る人もありました。誰にでも心にそっとしまっている大切なものがあります。

無限の愛

ガンガン、カチカチという機械音の中に横たわり、指示されるまま息を止めました。MRIは珍しい検査ではありませんが、私は閉所恐怖症なので、気持ちを何か、否、むしろ誰かに向ける必要があります。そのとき「その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか…」(エペ3:18)というみことばが、機械のリズムに合わせて頭の中で踊り出しました。使徒パウロは、エペソの教会のために祈りつつ、神の愛の広がりが無限であることを強調しました。

天国の愛の歌

ソングライターのビリー・ヒルは、1936年に「グローリー・オブ・ラブ」、日本語に訳すと「愛の栄光」という曲を発表し、それは大ヒットしました。人々は、たとえ些細なことでも、互いを愛し、親切な行いをする喜びをたたえる、この歌を口ずさみました。50年後、作詞家のピーター・セテラが同じ題名の歌を作りましたが、それは恋の歌です。永遠にともに暮らし、互いを知り、どんなことも愛の栄光のために行うという恋人たちをイメージしています。

不変の愛

車のドアをバタンと閉めて校門に入っていく小学6年生の私に、父は「愛しているよ」と声をかけました。私たちは何か月も毎朝、同じせりふを繰り返していました。父は「いってらっしゃい。愛しているよ」と言い、私は「じゃあね」と素っ気ない返事をしました。別に怒っていたわけでも、父をないがしろにしていたわけでもありません。ただ自分のことで精一杯で、父の言葉を気にする余裕が無かったのです。しかし、父の愛情は変わりませんでした。

驚くべきあわれみ

大学生の夏、コロラドの大農場で働きました。一日中トラクターで牧草を刈った日の夕方、お腹を減らし疲れて母屋に戻りました。そしてベテラン運転手まがいの勢いでハンドルを切り、ブレーキを強く踏んでトラクターを左に回転させて駐車しました。すると、刈り取り機の爪が、横にあった2千リットル入りのガソリンタンクの脚に当たったのです。タンクは大音響を立てて地面に倒れ、継ぎ目が壊れてガソリンが流れ出してしまいました。雇い主である農場の主人は、そばでその一部始終を見ていました。

母の愛

幼い頃に両親が離婚し、親権などをめぐる争いがあったため、スーはしばらく施設に預けられました。そこでいじめに遭い、見捨てられたように感じました。母は月に一度だけ面会に来ましたが、父はめったに来てくれません。しかし、ずっと後になって、頻繁に会えなかったのは施設の規則のためで、母は一目でも娘の姿を見ようと、毎日フェンスの外からのぞいていたと知りました。時には園庭で遊んでいる娘を見て、元気か確かめていたと言います。

愚かな羊と良い羊飼い

友人のチャドは、ワイオミング州で羊飼いを1年間しました。 「ヒツジは愚かだよ。自分の目の前にあるものしか食べないんだ。前の草を全部食べると、他の草地を探そうとはせず、草の無くなった土を食べちゃうんだ」と言います。

ひどい事も素晴らしい事も

恐れで凍り付くことがあります。過去に傷つけられた経験があり、今回もまた同じことになりそうだと感じるなら、当然恐ろしくなります。そして「私には、うまく対処する知恵も力も勇気もない。絶対にできない」と精神的に追い詰められます。

イエスの物語

子どもの頃、町の図書館に行くのが大好きでした。ある日、高学年用の書棚を見て、そこにある本を全部読もうと思いました。けれど重要な事実を忘れていました。ここには新しい本が追加されます。私は必死に努力しましたが、本の数が多過ぎました。