ちりにすぎないと感じる
週1回の伝道部会の会合で、ウォレンが「ちりみたいだ」と言ったとき、加齢や、それに伴う不調を語っているのだと思いました。ウォレン夫妻は60代後半で、昨年は手術や病院通いが続きました。また、介護に備えて家を改装することなどの変化もありました。人生の盛りは過ぎたと感じていたのです。
神の平安
職場の権力闘争に巻き込まれて、忍耐の数か月を過ごしましたが、心は不思議なほど平安で、不安を感じることなく平静でした。私は生来の心配性です。この平安は、神をおいて他にないと思いました。一方、全てが順調なのに、常に心が騒いでいるという経験をしたこともあります。その原因は、神の力と導きではなく、自分の力に頼っていたからです。振り返ってみると、真の平安、すなわち神の平安は、その時の状況ではなく、神に対する信頼の度合いによると分かります。
祈りの本質
アメリカ合衆国の大統領に就任したリンカーンの仕事は、分断された国のかじ取りでした。彼は賢い指導者で、徳の高い人だったと言われていますが、そのことも、他のことも、ある要素の上に立脚していました。彼は、自分は力不足だと心得ていました。リンカーンはこう述べています。「私は他に頼れるものはないという絶対的な確信で、何度もひざまずきました。その日、その日を乗り越えるには、私の知恵や力は、全く不十分に思えました」
私たちの時間を償う
母は結婚のために大学進学をあきらめました。1960年代のことです。しかし、家庭科の教師になる夢を捨てきれませんでした。3人の子どもを授かった後、学士の資格はないものの、ルイジアナ州の保険局で栄養士補佐の仕事に就きました。それは、健康的な食事のメニューを実際に料理して見せる家庭科の教師のような仕事でした。母は自分の人生を振り返り、神は彼女の祈りを確かに聞いて、心の願いをかなえてくれたと語りました。
安全な場所
ダグ・マーキーの人生は、より糸が少しずつ切れていくようでした。「長い闘病の末、母ががんで亡くなりました。長年の恋人と別れ、貯金も底をつき、仕事の将来性も見えません。霊的にも精神的にもどん底だった」と書いています。牧師であり彫刻家でもあるマーキーのこの状況と小さな屋根裏部屋という住環境が、彼の「隠れ場」という作品を生み出しました。釘の痕が残るキリストの力強い両手のひらが椀のように合わさって、そこが安全な場所だと物語ります。
できないと言わない
ジェンは両足無く生まれ、病院に置き去りにされました。養子縁組をして、愛情を注いでくれた人たちのおかげで、今日があると語ります。養父母は、決して、できないとは言わせず、生まれついた身体には意味があると納得させてくれ、どんな夢を追うことも応援してくれました。彼女は現在、曲芸師として活躍しています。困難に対しては前向きの姿勢で臨み、人にもそうするように勧めます。
神を見つめて
バレリーナやコンテンポラリー・ダンサーがするターンにピルエットというものがあります。子どもの頃、モダンダンスを習っていて、ピルエットが大好きでした。目が回って倒れてしまうまで何度も回りました。大きくなると、バランスを保つコツは、ある一点を決めて、一回転するたびに、そこに視点を戻すことだと分かりました。そうすれば、ピルエットを優雅に決めることができるのです。
信仰によって生きる
ゲイリーは歩行に問題があり、医者はバランスを改善する理学療法を勧めました。ある時、理学療法士は「目に見えるものに頼りすぎていますよ。足裏の感覚や内耳の平衡感覚などにも注意をはらってください」と言いました。
心地よい眠り
友人のフロスは、眠れない夜には賛美歌「主よ、わが主よ」の歌詞を思い巡らします。彼女はそれを「真夜中の賛歌」と呼びます。神の約束や神を愛する数々の理由を思い起こさせてくれるからです。