Category  |  罪の赦し

朝もや

ある朝、近所の池の畔で朝もやの水面を眺めていました。もやは風で揺れたり、舞い上がったりしましたが、朝日が差し込むと消えていきました。この光景は「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った」(イザ44:22)という今朝読んだみことばと結びつき、私を慰めました。ここ数日、ある悪い思いに捕らわれ、それを断ち切ろうと散歩に出たのです。既に神に懺悔(ざんげ)していましたが、再度、同じことをしたら赦してもらえないかもと不安だったのです。

白い雪の奇跡

アイザック・ニュートンは17世紀にプリズムを使って、人が色を識別する際の光の役割を研究しました。光が物体を通るとき、その物体には色があるように見えることをニュートンは発見しました。例えば、雪は砕かれた多くの氷の結晶の集合です。ひとつの氷の結晶は半透明ですが、全ての結晶の中を光が通ると、雪は人の目に白く映るのです。

あわれみを示す

エリック・フィッツジェラルド牧師は言いました。「悲劇が起こり深く傷ついたとき、あわれみを示すことと恨みを晴らすことと、どちらか一方を選べます。私はあわれみを示すことを選びました。」彼の妻は、帰宅途中に疲れて居眠り運転をしていた消防士が起こした事故で亡くなりました。検察官に実刑を望むかと尋ねられ、牧師は、自分が説いてきた赦しを実践することを選びました。そして驚いたことに、ふたりはやがて友人になりました。

唯一の王

牧師が、イエスは天を去り地上に来られたと語り、私たちの罪のために死んでくださったことを感謝する祈りをささげました。すると5歳のエルドンは「えっ!死んだの?」と驚きました。

兄息子に自分を見る

作家のヘンリ・ナーウェンは、ロシアのエルミタージュ美術館でレンブラントの絵画「放蕩息子の帰還」を前に、何時間も黙想していました。彼は、時間の経過で変化する光により、いくつもの絵を見たように感じたと言います。それは、傷ついた息子に対する父の愛を、幾重にも表していました。

和解の扉

アイルランドの首都ダブリンの聖パトリック大聖堂には、ある物語にまつわる扉があります。バトラー家とフィッツジェラルド家が1492年に地域の覇権をめぐって争ったとき、バトラー一家は大聖堂に逃げ込み、フィッツジェラルド家の停戦の求めに応じませんでした。そこで、フィッツジェラルド家の人たちはドアに穴を開け、家長が握手のために手を差し入れました。両家は和解し、敵は友となりました。

悲しい話

長年、隠されていた悪事、すなわち男性たちが立場を利用して女性にセクハラをしていたことが、各所で明るみになりました。私が敬っ ていたふたりも加害者だと証明され、重い気持ちになりました。現代のキリスト教会もこの問題と無関係ではありません。

持ち場に復帰

彼女は昔、親に暴言を放ちました。それが最後の会話になるとは知る由もなかったのです。後悔に苛まれ、何年もカウンセリングに通いましたが、未だ自分を赦すことができません。後悔の無い人はいません。しかし聖書は後悔に捕らわれない道を示しています。ダビデの例を見てみましょう。

求められている

ロンとナンシーの夫婦関係は破綻寸前でした。不倫したナンシーは、神の前に罪を認めましたが、みこころに従い夫に謝罪するには葛藤がありました。しかし事実を打ち明けると、ロンは離婚ではなく、悔い改めたことを証明し信頼を取り戻させて欲しいと、やり直すチャンスをくれました。神はふたりの結婚生活を奇跡的に守られました。