耳は聞くために造られた
女優のダイアン・クルーガーは、スターの仲間入りが約束される役をオファーされましたが、それは若くして夫と子どもを亡くす女性の役でした。彼女は、そのように大きな喪失を経験したことはありません。リアリティー豊かに演じることができるだろうかと思いました。しかし思い切って引き受け、役作りの準備に深い悲しみを抱えている人たちの自助グループに出席しました。
最初にするべきこと
飛行機に乗ると離陸前に、安全に関するアナウンスがあり、機内の気圧が低下した場合、頭上の棚から酸素マスクが落ちると説明されます。そのときはまず自分が着用し、人に手助けをするのは、その後です。自分の意識がしっかりしていなければ誰も助けられないというのがその理由です。
縮んだピアノ
息子は3年連続でピアノの発表会に出ました。その最後の年、階段を上ってピアノの前に座り、楽譜を置いて2曲弾いて戻って来ると「ママ、今年のピアノは小さかったよ」とささやきました。私は「去年と同じピアノよ。あなたが大きくなったのよ」と答えました。
ここから始める
砲撃でできた穴の中に、1944年6月6日、3人の米軍将校が身を寄せ合い潜んでいました。彼らは潮に流されて、ノルマンディーのユタ・ビーチの誤った地点に上陸したのです。しかし、「ここから戦いを始める」と決意を固めました。そして、困難な地点からスタートしたのです。
サウロもダマスコでイエスと出会って窮地に陥り、決断を迫られました(使徒9:1-20)。自分の人生の、立ち位置と方向性が間違いだったことが突然明らかにされ、それまでの人生は虚しいもののように感じられました。前進には、厳しくて不快な仕事を要します。自分が引き裂いた信者の家族に、向き合うことさえあるでしょう。彼は「主よ、私はどうしたらよいのでしょう」と尋ねました(使徒22:10)。
私たちはしばしば、想定外の立場や、自分の計画でも願いでもない状況に置かれることがあります。ローンの返済に困っていたり、病気になってしまったり、罪の呵責(かしゃく)に苦しんでいる人がいるかもしれません。キリストに出会ったとき、刑務所にいても豪邸にいても、心敗れ無一文でも自分勝手な欲にまみれていても、後ろのものを忘れて、キリストに向かってひたむきに前進しなさい、というパウロの忠告に従うように聖書は勧めます(ピリ3:13-14)。キリストといっしょなら、過去は前進の妨げになりません。
ノーと言ってイエスと言う
◆ エゼキエル書5-7
◆ ヘブル12
義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。―Ⅰヨハネ3:10
私たちは手を洗って汚れやばい菌を落としますが、実は、それをしているのは「私たち」ではありません。厳密に言うと、それは「石鹸」であり「水」です。しかし手をきれいにしようとしたのは「私たち」であり、そのために「石鹸」や「水」は使われます。
目標を高く掲げて
◆ エレミヤ書43-45
◆ ヘブル5
完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。
―Ⅱコリント13:11
娘の家族が帰省したとき、彼女の夫、別の義理の息子、そして息子と4人で出かけました。女性たちが買い物をしている間、男たちは射撃場に行き、ピストルを2丁レンタルして的を狙いました。しばらく撃っていると、片方のピストルは、照準が低すぎることに気づきました。この照準で狙うと、的の下の方に弾が当たります。ですから、的の真ん中に命中させるためには、高いところを狙わなければなりませんでした。
カタツムリの ペースで
◆ ヨブ記25-27
◆ 使徒12
患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。―ローマ5:3-4
幼い頃、裏庭の花壇でカタツムリを見ていた思い出があります。殻のついた身体、ベタベタしたお腹、そして、潜望鏡のように動く小さな目。私はこの小さな生き物にわくわくさせられました。しかし、何といっても不思議なことは、それがすごくゆっくり動くことでした。
カタツムリは、どのくらいのスピードで進むのでしょう。ある研究によると、一時間に約120メートルほどだそうです。英語で「カタツムリのペースで…」と言うと、「ゆっくり」という意味なのですが、それもそのはずです。