Category  |  信仰

もう1度歌おう

オーストラリアに生息するキガオミツスイは危機に直面しています。仲間たちが300羽ほどに減ってしまい、歌い方を習えません。それで求愛が成功しないのです。幸い保護活動が進行中です。録音した独特の鳴き声を聞かせて、心の歌を思い出させるように助けています。オスが鳴き方を習得して求愛に成功し、個体数が増えることを願っています。

安全な場所に引き上げる

幼い女の子が父親に見守られ、小川のぬかるみを、膝までの長靴を履いてバチャバチャと歩いていました。やがて川は深くなり、長靴の中に水が入ってきました。ついに1歩も進めなくなると、少女は叫びました。「パパ、はまっちゃった!」父は3歩ほど歩いて娘を抱き上げると、川岸の原っぱに下ろしました。少女は長靴を引っ張って脱ぎ、中の水を笑いながら出していました。

ちりにすぎないと感じる

週1回の伝道部会の会合で、ウォレンが「ちりみたいだ」と言ったとき、加齢や、それに伴う不調を語っているのだと思いました。ウォレン夫妻は60代後半で、昨年は手術や病院通いが続きました。また、介護に備えて家を改装することなどの変化もありました。人生の盛りは過ぎたと感じていたのです。

アースデイの感謝

アースデイは地球環境を守る行動を提唱する日で、毎年4月22日です。2010年の実施以来、約200カ国10億人以上が様々なイベントに参加しています。しかし、環境保全という命令は、アースデイの制定のずっと前、すなわち、万物が創造された時にすでに発せられていました。

リスクを冒す価値がある

理由も言わず長年の友が去り、私は気持ちを整理しようと、C.S.ルイスの『四つの愛』を再読しました。ルイスは、傷つくことをいとわないのが愛だと説き、そこに「安全な投資」はないと語ります。それを読んで、ヨハネの福音書21章の記述について、以前とは別の感慨を持ちました。

来て、礼拝せよ

多くの人が、世代を超え、気持ちよく賛美をささげていました。しかし、彼女は例外でした。泣きだしそうな赤ん坊をあやし、5歳の子に歌集を見せ、真ん中の子が走り出さないように押しとどめています。その時、後ろの席の年配の男性が、よちよち歩きの子の手を引いて会堂の中を歩こうと申し出ました。さらに、若い女性が上の子のために歌集を持ってくれました。状況は一変し、彼女は目を閉じて神を賛美し、礼拝しました。

全てを変える

イェール大学で長年教鞭をとったヤロスラフ・ペリカン教授は、キリスト教史の権威と言われ、30冊以上の本を出版し、名誉あるクルーゲ賞を受賞しました。しかし、ある学生は、恩師の業績より、その臨終の言葉に最も感銘を受けたそうです。「もし、キリストがよみがえられたなら、他のことはどうでもよい。そして、もしキリストがよみがえられなかったなら……他のことは、どうでもよく空しい」。彼の言葉は使徒パウロの信念と同じです。「キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります」(Ⅰコリ15:14)。

死さえも

早世した友を惜しんで悲嘆に暮れる人がいました。死は、昔も今も、全ての人を打ちのめします。どんなに悲しんでも時間は戻せません。

愛に支えられて

膝の上に乗った4歳の孫が、私のはげ頭を触りながらまじまじと見つめています。「じいちゃんの髪はどうなったの?」私が「だんだん無くなったんだよ」と笑って答えると、彼は神妙に「それは困ったね。僕の髪をちょっとあげなくちゃ」と言いました。私は、孫の優しさに笑顔で応じながら、彼をぎゅっと抱き寄せました。後日、このやり取りを思い出しました。そして、神の惜しみない犠牲的な愛について考えました。