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主の死が命を生む

ジョアンナ・フランダース・トマスは、南アフリカの刑務所で人を造り変えるキリストの力を体験しました。フィリップ・ヤンシーの著書「隠された恵み」によると、ジョアンナは、赦しと和解のシンプルな福音のメッセージを携えて毎日、受刑者を訪問しました。やがて、彼らに信頼され、幼少期の虐待などを打ち明けられ、暴力以外でいさかいを解決する方法を教えました。彼女の訪問が始まった前年は、受刑者同士や受刑者と看守の間の暴力事件が279件もありましたが、その年にはわずか2件になったのです。

天に送る

ホスピスの看護師に父が危篤だと言われました。父は帰ることのない旅に出かけていくのです。彼を看取る時が来たと悟りました。父の最期の日、意識の有る無しは定かではありませんでしたが、姉妹で父のベッドのかたわらに座り、頭にキスをしました。そして、神の約束をささやき、「主のまことはくしきかな」を歌って、詩篇23篇を読みました。そして、愛と感謝を伝えました。父がイエスの元に行きたいと心から願っていると知っていたので、もう逝ってもいいよと言いました。そう発することが、惜別の痛みの始まりでした。数分後、父は永遠のすみかに喜んで迎えられました。

愛され魅力的で有能だ

マルコムは堂々として見えましたが、実は、臆病で、強い承認欲求がありました。すさんだ家庭環境の問題は、自分のせいだと思い込んでいました。物心ついた頃から、洗面所の鏡の自分に向かって「馬鹿、ボケ、ダサッ。全部お前が悪い!」と叫んでいたと言います。

決着がついたように生きる

小野田寛郎は、第二次世界大戦の際、フィリピンのルバング島にスパイとして送られました。そして、敗戦となって平和条約が締結された後も、それを信じず隠れていました。大戦終結から29年間、ジャングルに潜んでいたのです。しかし1974年3月、当時の上官が現地におもむき、投降するよう説得しました。彼は長年、不自由な生活をしましたが、それは、戦いに決着がついたと信じず、降伏を拒んだからです。

神聖なデュエット

小学生の音楽会に行きました。子どもの隣には先生がいて、演奏を始める前には小声で指示を与えていました。そして、子どもが主旋律を弾くと、先生が伴奏を付けて曲を豊かにしていました。また、最後には軽くうなずいて、子どもをほめていました。

輝く光

祈りを教える5週間の講座を教会に頼まれましたが、期待に応えられるか、好感を持たれるか不安でした。それでカリキュラムやスライド、資料などを完璧にしようと力んでいましたが、自分から参加を呼びかけることはしませんでした。

悲しみの時に神を信頼する

末期がんだと分かったとき、「パパ・ジョン」と妻キャロルは、闘病生活をネットでシェアするように神に告げられたと感じました。弱さをさらけ出すことを通して、神が証されると信じ、2年間、喜びや悲しみ、そして苦しみを語り続けました。キャロルが「夫はイエスの腕の中に迎えられた」と書いた時、何百人もが、ふたりの大胆な分かち合いに謝意を表しました。ある人は「皆、いつかは死ぬのだから」キリスト者の死に対する考えは健全だと書きました。別の人は、ふたりに会ったことはないけれど、神を信頼する姿に勇気をもらったと書きました。パパ・ジョンは時に激痛に見舞われましたが、分かち合いは続きました。神がどのように支えてくださるかを伝えたかったからです。彼らはその証が神のために実を結ぶと信じていました。それは苦しみの中で「私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです」(Ⅱテモ1:12)と書いた使徒パウロを彷彿させます。

裏切られる

レオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年記念展覧会が2019年に世界中で開催され、多くの絵画や研究ノート等が展示されましたが、彼の作品とはっきり認定されている絵画は5点しかありません。

コツコツやる

神は世間が気にも留めない人を好んで用いられます。18世紀、寒村に生まれたウィリアム・ケアリーは、大した教育も受けず、仕事もうまくいかず、貧しい暮らしでした。しかし、神は彼に福音宣教の情熱を授け、宣教師にされました。ケアリーは、ギリシャ語、ヘブル語、ラテン語を学び、ついには新約聖書をベンガル語に翻訳しました。今日では「近代海外宣教の父」と呼ばれていますが、甥に宛てた手紙には、自身の能力が謙虚に綴られています。「私はコツコツ頑張れる。辛抱強く耐えられる」と。