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狭い囲い

クラスメートが、子犬を産ませるには年を取り過ぎたという血統書付きの犬をくれました。美しいコリーでしたが、かわいそうに、生まれてからずっと狭い囲いの中にいたことは明白でした。小さな円をたどるようにしか歩けず、真っ直ぐに走って物を取って来れません。広い庭にいても、柵の中にいるようでした。

大いなること

ベルリンの壁が崩壊したというニュースに世界中が驚きました。1989年11月9日、ベルリン市を二分していた壁が崩れ、28年間分断されていた街がひとつになりました。ドイツの人々はもとより、世界中の人たちが興奮しました。それは大いなる出来事でした。

声を使って

世界的なピアニストに会わせてあげると言われました。私は音楽漬けで育ち、バイオリンとピアノを弾き、独唱者として教会等で歌ってきたので、このチャンスに興奮しました。

彼に会ってみると、ほとんど英語が通じないと分かりました。そして何と、私にチェロを渡して、弾けと言います。そうすれば、ピアノで伴奏するからというのです。私はチェロを弾いたことがありません。それで、バイオリンの弾き方を真似てキーキーと音を出しましたが、ついに訳が分からなくなったと認めて、別れました。

そして目が覚めました。すべては夢だったのです。けれども、どうして夢の中で、「歌ならできます」と言わなかったのだろうという思いが残りました。

神は、他人の益のために用いなさいと(Ⅰコリ12:7)、私たちの才能や霊の賜物を育てる道をくださいます。祈り心で聖書に親しみ、賢い指摘に耳を傾けることで、私たちは自分の賜物が分かってきます。それぞれの賜物が何であれ、時間をかけて見つけ、用いなさいと使徒パウロは諭します。霊の賜物は御霊がみこころのままに分け与えられたのです(11節)。

神に誉れを帰するために、そして、イエスを信じる人々に仕えるために、聖霊にいただいた「声」を用いましょう。

生きる、祈る、愛する

ジェシー・オーエンスは、1936年のベルリンオリンピックの数少ない米国黒人選手のひとりで、憎しみをあおるナチスと指導者ヒトラーの前で、4つの金メダルを獲得しました。彼はまた、両親の強い信仰に影響された勇敢なキリスト者でした。親しくなったドイツのルッツ・ロング選手は、ナチスの世論操作の中で、オーエンスの信仰から来る何げない行為に衝撃を受けたと言います。後に手紙にこう綴っています。「君と最初に話したのはベルリンだったね。君が地面にひざまずいた時、祈っていると分かったよ。…今、僕は、神を信じてもいいかなと思っている。」

賛美の理由

自分を律することを重んじる私にとって、それは大失態でした。何をしたかと言うと、居眠りです。わが家の子どもたちには門限があり、私は必ず起きて、彼らの帰宅を待つことにしています。彼らは皆、良い子なので、その必要は無いのですが、無事戻ったことを確認したいのです。それは私の選択です。しかしある晩、「パパ、無事に帰ったわ。もう寝てちょうだい」という笑顔の娘の声で目を覚ましました。頑張る気はあっても、父は、恥ずかしながら、持ち場で居眠りをしました。それが人間なのです。

出直す

廃棄自転車を修理して、貧しい子どもたちに無料で提供する店が近所にあります。創業者アーニー・クラークは、ホームレス、障害者、市民生活に順応できない帰還兵などにも再生自転車を寄付します。自転車に第二の人生があると同時に、それをもらった人が、再出発することもあります。ある帰還兵はこの自転車のおかげで就職の面接に行くことができました。

知恵に驚く

娘が「年をとって、お父さんは賢かったって気づいたわ。息子に話をしていると、お父さんから聞いた言葉が口から出てくるの」と言いました。おかしなものです。子育てをしていた頃、私も自分の親に言われたことを口にしていると気づきました。親の知恵に対する見方は、自身が父親になって変わりました。くだらないと思っていたことが、ずいぶん賢明なことだと分かりました。昔は、よく分かっていなかったのです。

落ち着きなさい

ディズニー映画「ビアンカの大冒険」で、ケガをしたアホウドリのウィ ルバーに医者が「リラックスしましょう」と軽く言いました。すると嫌々やって来た気の立ったウィルバーは「リラックスしていますよ。…これ以上リラックスしたら死んでしまいます」と皮肉を言い、ますます興奮していきます。医者のうさんくさい治療法を見たウィルバーの不安はもっともですが、その光景は滑稽です。本当に危機なのか否かは別として、私たちがうろたえたときの姿を映しています。

仕える人の心

料理、イベント企画、栄養管理、看護。これは、最近の母親が担う役割の一部です。2016年の調査によると、母親が子育てに費やす時間は週に59時間から96時間とのこと。道理でいつも疲れているわけです。母親になるとは、生きることを学びつつある我が子の世話に、多くの時間と労力をささげることを意味しています。

一日が長く感じられ、人の世話は価値ある仕事だと再確認したいとき、イエスが仕える人を高く評価されたのを見ると勇気をもらえます。

マルコの福音書は、弟子たちは誰が一番偉いかと口論したと語ります。そのときイエスは静かに座って「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい」(9:35)と語られました。そして、ひとりの子どもを抱き寄せると、自分以外の人、特に最も弱い人に仕える大切さを語られました(36-37節)。この答えは、神の御国で最も偉大なものに関する考えをリセットしました。神の基準は、人の世話をする意志があるかどうかです。そして、人の世話を選んだ人たちには、神のご臨在による励ましが約束されています(37節)。

家族や地域に仕えているなら忘れないでください。イエスは人のために割いた時間と労力を大いに評価されます。