愛の美しさ
メキシカン・ハット・ダンスとも呼ばれる「ハラベ・タパティオ」は、恋愛賛歌です。アップビートのダンスの中で、男性のダンサーは、つばの広いソンブレロという帽子を地面に置き、やがて女性がそれを拾います。そして、ふたりは帽子に隠れてキスをして、その恋を成就させます。
疑問があっても礼拝する
グループで旅行をしていると、誰かが「まだなの?」とか「後どれぐらい?」と尋ねることがあります。これは、どの国の人とか、大人とか子どもとかにかかわらず尋ねる質問で、そう尋ねる人は早く目的地に着きたいのです。また、患難の中で長くもがき苦しむ人も、いつになれば終わるかと、同じ質問をしがちです。
思い切れない
ラジオ番組の司会者が、いつまでも思い切れないことは何ですか、と質問すると、リスナーが電話をかけてきて、亡き妻との思い出など、家族のことを話しました。また、音楽家や母親になるなど、捨てきれない夢を語る人もありました。誰にでも心にそっとしまっている大切なものがあります。
自分の人生を分かち合う
末っ子が「イヤ!」と泣き叫びました。レゴブロックひとつを手放すことさえ耐えがたいのです。その幼稚さにあきれながらも、この態度は大人も同じだと思いました。多くの人にとって、自分以外の誰かに対して気前よくすることは簡単ではありません。
夜の歌
パーキンソン病に心身をむしばまれていく中、父は自分らしく生きることを渇望しました。心の平安を慕い求めながら、うつ症状に苦しめられました。愛を実感できなくて、孤独感にさいなまれることが多々ありました。しかし、大好きな詩篇42篇のみことばを読むと、孤独感が薄れました。
希望の確かな基礎
信仰の教訓を思いがけない場所で得ることがあります。台所の隅に愛犬ベアが水を飲む器があります。ベアは体重50キロの黒いラブラドール・レトリバーですが、その器が空のときでも、吠えたり、いじったりしません。横に伏してじっと待っています。たまには少々長く待たなければなりませんが、やがて私が台所に来て彼を見つけ、彼の必要を満たすことを理解し、信頼することを学びました。私を単純に信じる彼の姿は、神をもっと信頼すべきことを再確認させてくれました。
ザリガニの苦境
ザリガニ釣りに誘われてワクワクしました。いとこがプラスチックのバケツをくれたので、私はにっこりしながら「ふたはないの?」と尋ねました。彼は釣り竿と餌の入った袋を持ち上げながら「必要ないよ」と言いました。理由は後で分かりました。小さなザリガニたちは、ほぼ満杯のバケツから逃げようとしますが、1匹が縁にたどり着くと、他の1匹がそれを引きずり下ろしてしまうのです。
イエスは後ろにおられる
学校へ行く支度が早く終わったので、途中でドライブスルーに寄ろうと娘が言い、私は「いいよ」と答えました。車をレーンの入り口に入れて「今朝は喜びの種をまく気分?」と尋ねると、娘は「もちろん」と言いました。私は二人分のコーヒーを注文して受け取り窓口で車を止め、「後ろの車の若い人の分も払います」と言いました。娘は満面の笑みを浮かべていました。
無限の愛
ガンガン、カチカチという機械音の中に横たわり、指示されるまま息を止めました。MRIは珍しい検査ではありませんが、私は閉所恐怖症なので、気持ちを何か、否、むしろ誰かに向ける必要があります。そのとき「その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか…」(エペ3:18)というみことばが、機械のリズムに合わせて頭の中で踊り出しました。使徒パウロは、エペソの教会のために祈りつつ、神の愛の広がりが無限であることを強調しました。