Category  |  イエスのために生きる

雑草を育てる

この春、庭の雑草が伸びてひどいことになりました。特に1本はとても大きく、無理に引き抜こうとすると腰を痛めると思いました。そこで、すきを取って戻ってくると、娘が水をやっているではありませんか。「なんで雑草に水をやるんだ?!」と叫ぶと、彼女はニンマリ笑って 「どれくらい大きくなるか見たいもの」と言いました。

いつくしみ深い神

若い牧師が悩んでいたので、思い切って、祈っているかと尋ねました。使徒パウロの言葉どおり、絶えず祈っていますか、と。彼は苦々しげに「祈りをまだ信じているかどうか分からない」と打ち明けました。眉をひそめ「というか、神は聞いておられるのだろうか。世の中がこんなふうなのに」と言いました。彼は自分で主の働きを建て上げようとし、挫折していました。なぜでしょう。残念なことに、神を拒絶していたからです。

イエスの話をし続ける

イエスの話をしないように要請されたことがあると、クリスチャンの音楽家が言いました。イエスのために……と言わなければ、もっと人気が出て稼げるし、貧しい人を助ける寄付も増やせるといいます。しかし、彼は熟慮の末、「私の音楽の目的は、キリストを証しするため。沈黙はできない」と決断しました。自分には、イエスのメッセージを伝えるはっきりとした召しがあると語りました。

イエスを反映する

画家のアーマンド・カブレラは、絵画の原則に沿って反射光の美しさを描きます。それは「反射光は光源より弱く」というものです。初心者は反射光を強調しすぎるそうです。彼は「反射光は影に属しており、よって、その役割は支えることです。絵の明るい部分と競い合ってはいけません」と語ります。

イエスを見る

生後4カ月のレオは、生まれつきの視覚障害があって、両親の顔を見たことがありません。しかし、特別な眼鏡が処方されました。父親が投稿したビデオを見ると、その眼鏡を初めて掛けたレオの目は、焦点が徐々に合っていきます。そして、初めて母親の顔を見るや、満面の笑みがこぼれました。かけがえのない瞬間です。

損はない

友人のルエルは高校の同窓会に行きました。マニラ湾に面した級友の豪邸に200名が集まったのですが、そこで引け目を感じました。彼は、田舎の教会の牧師として、長年、喜んで奉仕してきました。なのに、ダメだと知りながら、クラスメートの財力を羨ましく思ったそうです。「自分の学歴を使ってビジネスマンになっていたら、どんな人生だっただろうかと要らぬことを考えてしまった」と、私に告白しました。

愛による働き

レベッカ・リー・クランプラー(1831-1895年)は、医師となる学位を取得した最初のアフリカ系アメリカ人女性です。にもかかわらず、当時は「取るに足らない者と軽んじられ、無視された」と回想しています。それでも、彼女は献身的に治療を続け、自らの使命を全うしました。人種や性別で差別されたとしても、クランプラーは、「任務ならば、いつでも、どこにでも行く覚悟があり、準備もできている」と断言し、その通りに行動しました。彼女は、女性や子どもを治療し、解放奴隷に医療を提供することは、神に仕える道だと信じていました。しかし残念なことに、彼女の功績は100年以上も公には認められてこなかったのです。

温める

コロラド州の我が町は気温の変化が激しく、数分で激変することもあります。ですから、夫は屋内外の温度差に興味を持ち、家の周りの4カ所の温度測定ができる温度計を買ってきて、気温の違いを調べています。くだらない装置だと笑った私も、今では頻繁に温度をチェックして、外と内の温度の差を面白がっています。

結局のところ

日常生活を離れ、祈りと内省の1日を過ごす修養会の講師を頼まれることがあります。私はそこで「将来、あなたの葬儀で、あなたの人生を言い表す1文が、式次第のどこかに掲載されるとします。何と書いてもらいたいですか」と尋ねます。この問いがきっかけで生活の優先順位を変えた人もいました。いのちのしまい方を良いものにしたいからです。