休みの許可
岩に波があたり、しぶきが弧を描くのをスージーと一緒に眺めていました。次から次へと打ち寄せる波を見て、彼女は「海が大好き。私が何もしなくても、動いているから」と言いました。労働を一旦止め休息するためには「許可」が必要だ、と感じる人が多いのは興味深いことです。その許可は「神」が下さいます。神は6日間働いて、光や大地、動植物や人間を造られ、世界を完成されると、7日目には、すべての労働を止められました(創1:31-2:2)。十戒は、神に栄光を帰す健康的な生き方の箇条書きですが(出20:3-17)、「安息日を覚え……よ」 (出20:8-11)は、その一つです。安息日は休みの日という意味です。イエスは、町のすべての病人を癒やされると(マコ1:29-34)、翌朝には祈るために寂しいところに退かれたと(マコ1:35)、新約聖書は語ります。私たちの神は、目的をもって働かれ、目的をもって休まれました。
神の御前に静まる
人間が初めて写真に写ったのは1838年のことです。それは、昼下がりの閑散としたパリの大通りに立つ1人の人で、撮影したのは写真家のルイ・ダゲールです。それは不思議な光景でした。なぜなら、その時間帯には、街は馬車や徒歩の人々で溢れていたはずだからです。実際、撮影場所のタンプル大通りは、いつもと変わらず、人や馬車で賑わっていました。しかし、それらは写真に写っていません。というのも、当時のダゲレオタイプという技法の露光時間は7分でした。その間、静止しているものだけが被写体になります。歩道にじっと立って靴を磨いてもらっていた男性だけが、ダゲールの写真に写り込んだのです。
神の力強い臨在
性別を理由に投票を否定することを禁じるアメリカ合衆国憲法修正19条の批准から100周年を記念する2020年、「主はみことばを与えてくださる。良き知らせを告げる女たちは大きな群れ」という詩篇68篇11節が刺しゅうされた旗を掲げて行進する人たちの古い写真が公開されました。
心が休まる
心が休まらないなら、どんな富や成功にも満足できません。カントリーミュージック界の今は亡き大スターは、こう証言しています。ビルボードのカントリーミュージック部門で上位10位に入ったアルバムは40近く、多数のシングルは1位に輝きました。しかし、結婚と離婚を繰り返し、刑務所にも入りました。キャリアでの大成功にもかかわらず、こう嘆きました。「ざわつく心をどうすることもできない。仕事も、結婚も、生きがいも、少ししか役に立たない。きっと死ぬまでそうだろう」。人生が終わる前に安らぎを見つけることができたのに、何と悲しいことでしょう。
あなたの名前は?
ジェンは最初の夫の死後、再婚しましたが、継子たちに疎まれました。その夫が亡くなると、彼らは、彼女が夫の家に住んで、ささやかな遺産をもらったことを非難します。ジェンは気がふさぎます。
そばに来てかがむ
小さな子の母親が懸命に自転車の練習をする娘の後ろを追いかけていました。子どもはスピードを制御できなくなって自転車は転倒し、女の子は足が痛いと泣き出しました。母親は静かにかがんで膝をつき、痛みが飛んでいくように足をなでました。効果てきめんです。少女は立ち上がって練習を再開しました。私たちの痛みが全て、これほど簡単に消えたらどんなによいでしょう。
限りないお方
ショッピングモールのフードコートで、ハンバーガーをかじっていました。仕事の締め切りが迫り、あせって身体が硬くなっているのが分かります。そんな私の脇を、各々のやるべきことに向かう人たちが足早に通り過ぎていきます。「時間、体力、能力、どれも限りがある。みんなギリギリだ」と思いました。やることの優先順位をメモしておこうとペンを取り出そうとして、ふと、別のことが心に浮かびました。どんなことも難なく成就させる、限りないお方のことです。
よく休みなさい
午前1時55分。スマホでチャットしたことが気になって寝つけません。私はくるまっていたシーツから抜け出して、そっとソファーに移動しました。そして、安眠術についてネット検索すると、逆に、安眠の妨げになることがヒットしました。長い昼寝、カフェインの摂取、夜の運動などです。夜遅くにスマホを見ることもよくありません。チャットはダメだったのです。よく眠りたければ、してはいけないことがたくさんあります。
神の内に安らかに住まう
子どもたちが中学に入ったとき、それぞれに手紙を書きました。自分で自分のことがよく分からず不安だった、あの年頃の自分の経験を思い出し「キリストにある私」ということについて書きました。当時の私は、自分が神の愛する神の子どもである、と納得する必要がありました。私は「自分がどういう存在かという認識は、結局のところ、自分は誰のものなのかという認識なのです」と記しました。自分は、神に造られたことを理解し、神に献身的に従っていこうと決心するとき、私たちは自分のあるべき姿を安んじて受け入れることができます。