粘り強く祈る
お針子のアン・ロウは、1917年、有名な服飾デザイナー学校に合格し、フロリダから意気揚々とニューヨークにやって来ました。ところが、黒人とは知らなかったと言われ、追い返されそうになりました。しかし、アンは「神よ、ここにいられますように」と祈って踏ん張りました。根負けした校長は入学を許可しましたが、人種分離政策のためにアンは教室には入れず、廊下で授業を聞きました。
良いことをして叱られる
小学6年生の少女が、同級生がカミソリで自傷行為をしようとするのを目撃し、正しいことをしようと、それを取り上げて捨てました。すると、褒められるどころか10日間の停学処分になりました。カミソリの所持は(短時間でも)学校の禁止事項で、それに背いたというのです。しかし、また同じ場面に遭遇したらどうするかと聞かれると、少女は「罰せられても同じようにする」と答えました。この処分は後に取り消されましたが、彼女は正しいことをして処分されたのです。イエスの場合も、神の国を世に引き入れようとして、時の宗教指導者に憎まれました。
強者と弱者
ステッドファミリー小児病院の最上階の部屋は、床から天井までガラス張りで、隣にあるキニックスタジアムが一望できます。アイオワ大学アメフトチームが試合をするときには、心温まる行事があります。第1クオーターが終わると、その部屋から見学している入院中の子どもやその家族に向かって、コーチ、選手、観客が手を振るのです。その瞬間、子どもたちの目が輝きます。多くの人が自分たちのことを気にかけていると知って、彼らは元気をもらうのです。
陪審員8番
裁判官が重々しく言いました。「1人が死に、もう1人の命がかかっている」1957年公開の映画『十二人の怒れる男』の一場面です。被告の若者に不利な証拠は圧倒的でした。しかし、陪審員たちのいい加減さが、審議の中で明らかになっていきます。12人の陪審員のうち8番だけが「無罪」の票を投じると、彼に対して集中砲火が浴びせられます。その人は、証言の不一致を指摘しました。彼らは感情的になり、各々の悪意や偏見が露呈していきます。そして、1人また1人と意見を変え、無罪の票を投じていくのです。
満ち足りる
米国の公民権運動が1960年代に佳境を迎えたとき、指導者のキング牧師が暗殺されました。しかし、そのわずか4日後、妻のコレッタは、勇敢にも平和的抗議の行進を夫に代わってけん引しました。コレッタ・スコット・キングは、正義と公正を求めるあらゆる社会活動を積極的に擁護しました。
同情を選ぶ
テレビのバラエティー番組で、雪や氷にまつわるハプニングの特集をしていました。スキーで屋根から滑り降りたり、何かに突っ込んだり、氷上で転んだりという様子が撮影されたホームビデオを見て、スタジオの観客は大笑いしました。特に、愚かな行動の結果、無様な格好をさらした場合などには、手を叩いて大笑いしました。
物語は終わっていない
英国の刑事ドラマ『ライン・オブ・デューティー 汚職特捜班』の最終回の視聴率は記録的でしたが、悪の勝利を示唆する後味の悪いエンディングに、多くのファンは失望しました。ある人は「正義が勝ってほしかった。そういう道徳的な結末が必要だ」と語りました。
完全な正義
冤罪で3人の10代の若者が逮捕されました。1983年、14歳の少年が銃撃された事件で終身刑に処せられた3人は、真犯人が見つかり無実が立証されるまで、36年間を獄中で過ごしました。裁判所は彼らを無罪放免する前に、謝罪声明を出しました。
正義の神
罪をなすりつけるものを英語で「贖罪のやぎ」と言いますが、オレアリー夫人の牛は、さしずめ「贖罪の牛」でした。その牛は、1871年のシカゴ大火の原因と言われていました。火は3日間燃えつづけ、300人近くが死亡、3人にひとりが家を失いました。原因は、小屋のランタンを牛が倒したことと長年信じられていました。しかし、後日の検証で、市の警察消防委員会は、126年後に、牛と飼い主の潔白を認め、ある近隣住民の行動を精査すべきだったと結論づけました。