良いことをして叱られる
小学6年生の少女が、同級生がカミソリで自傷行為をしようとするのを目撃し、正しいことをしようと、それを取り上げて捨てました。すると、褒められるどころか10日間の停学処分になりました。カミソリの所持は(短時間でも)学校の禁止事項で、それに背いたというのです。しかし、また同じ場面に遭遇したらどうするかと聞かれると、少女は「罰せられても同じようにする」と答えました。この処分は後に取り消されましたが、彼女は正しいことをして処分されたのです。イエスの場合も、神の国を世に引き入れようとして、時の宗教指導者に憎まれました。
強者と弱者
ステッドファミリー小児病院の最上階の部屋は、床から天井までガラス張りで、隣にあるキニックスタジアムが一望できます。アイオワ大学アメフトチームが試合をするときには、心温まる行事があります。第1クオーターが終わると、その部屋から見学している入院中の子どもやその家族に向かって、コーチ、選手、観客が手を振るのです。その瞬間、子どもたちの目が輝きます。多くの人が自分たちのことを気にかけていると知って、彼らは元気をもらうのです。
ヒヒ、ろば、私
ジャックは有能な信号手でした。南アフリカのヴィテンヘイズ駅で、汽笛で進路を知らせる汽車に対応し、9年間の勤務で分岐器の操作を誤ったことはありません。ジャックは、駅員のジェイムズ・ワイドに飼われていたチャクマヒヒでした。ワイドは線路に落下し、汽車にひかれて、両足を失いました。彼はジャックを訓練して家事や仕事を手伝わせました。するとやがて、進入する列車が発する信号に応じて分岐器の正しいレバーを引くことを覚えたのです。
陪審員8番
裁判官が重々しく言いました。「1人が死に、もう1人の命がかかっている」1957年公開の映画『十二人の怒れる男』の一場面です。被告の若者に不利な証拠は圧倒的でした。しかし、陪審員たちのいい加減さが、審議の中で明らかになっていきます。12人の陪審員のうち8番だけが「無罪」の票を投じると、彼に対して集中砲火が浴びせられます。その人は、証言の不一致を指摘しました。彼らは感情的になり、各々の悪意や偏見が露呈していきます。そして、1人また1人と意見を変え、無罪の票を投じていくのです。
開かれた神の御腕
私はため息をつきました。友人と互いの子どものことで意見がぶつかり、和解が必要でした。電話をかけなければと思うのですが、両者の見解はまだ一致しておらず、気が進みません。しかし、私の態度が親切さや謙虚さに欠けていたのは確かでした。仲直りしてもらえなかったらどうしようと心配でした。しかしその時、ある歌の歌詞が思い浮かび、昔の記憶がよみがえりました。以前、神に罪を告白した時のことです。私は、神が赦してくださったと分かって、罪悪感から自由になったのでした。
同情を選ぶ
テレビのバラエティー番組で、雪や氷にまつわるハプニングの特集をしていました。スキーで屋根から滑り降りたり、何かに突っ込んだり、氷上で転んだりという様子が撮影されたホームビデオを見て、スタジオの観客は大笑いしました。特に、愚かな行動の結果、無様な格好をさらした場合などには、手を叩いて大笑いしました。
正義とキリスト
初代ローマ皇帝、カエサル・アウグストゥス(紀元前63年~紀元14年)は、法と秩序で統治したと思われることを望みました。実際は、奴隷の搾取、軍事力、賄賂によって帝国を築きましたが、ローマ市民に「ユースティティア」、つまり一定の法秩序を与えました。国勢調査も行いました。それによって、地の果てまでを治める待望の王がベツレヘムに生まれたのです(ミカ5:2-4)。
あわれみと恵み
大きなひまわりが1本だけ、国道の追い越し車線のすぐ脇にぽつんと咲いていました。横を通り過ぎながら、周囲に同じ花は見当たらないのに、どこから来て咲いているのだろうと不思議でした。中央分離帯の砂利の中でも育つ丈夫な植物を造られたのは神なのです。その花は、そよ風に揺られて、旅を急ぐ人々に明るく元気に挨拶していました。
恵みを施す
息子は私たちの養子になるまで児童養護施設にいました。家に連れて帰る日、持ち物を取ってくるように言うと、何もありませんでした。私たちは持ってきた新品の服に彼を着替えさせ、着ていた服は、寄付する他の服と一緒に置いてきました。彼が何も持っていないことに心が痛みましたが、これからは物心両面で支えてやれると嬉しくなりました。