赦しと未来
南アフリカ政府が1994年、アパルトヘイトと呼ばれる人種隔離制度を撤廃したとき、この制度の下で見逃されてきた犯罪の対処という難問に直面しました。過去を無視することはできませんが、罪を犯した人たちを厳罰に処するなら、国家の分断は深まるでしょう。黒人初の聖公会大主教デズモンド・ツツは「私たちは過去にさかのぼって正義を追求し、南アフリカを灰に帰することもできたが、そうはしなかった」と語ります。彼らは真実和解委員会を発足させ、真実と正義と慈悲を追求する険しい道を選択しました。罪を犯した人でも、それを認め、過ちを正す意思を示すなら、更生の道が用意されました。勇気を持って真実と向き合うことによってのみ、国家の癒しが始まるのです。
憎しみよりも強い
母のシャロンダが殺されてから24時間もしないのに、クリスは「愛は憎しみより強い」と呟いている自分に気づきました。彼の母は、水曜日のバイブルスタディに参加していた他の8人とともに、サウスカロライナ州チャールストンの教会銃撃事件の被害者になりました。それなのに、何がこのティーンエイジャーの口に恵みに満ちた言葉をのぼらせたのでしょう。彼はキリスト者で「心を尽くしてすべての人を愛した」女性の息子でした。
神のあわれみが動く
意地悪な上に私に罪をなすりつけ、陰口を叩いた人に憤慨しました。その行為を言いふらし、私が苦しんだように彼女を苦しめたいと思いました。腹わたが煮えくり返った次は、こめかみが痛みました。しかし、癒しを祈ると聖霊にいさめられました。神の癒しを祈りつつ復讐を計るなど、まともな話ではありません。神が頭痛に対処されるなら、この状況にも対処されるはずです。そもそも、人を傷つける人は自身が傷ついていることが多いのです。私は彼女を赦せるように、また、和解のきっかけをつかめるように祈りました。
恵みは型にはまらない
トムはボブの経営する会社の顧問弁護士でしたが、その会社の金を横領しました。ボブは怒り心頭でしたが、トムが己の行為を恥じ、悔いているのを知ったキリスト者の副社長は、訴訟を取り下げ、それなりの給与で雇って弁償できるようにしてやってはどうかと進言しました。その通りにすると、トムは恩義に報いようと懸命に働きました。
赦すために召された
パトリック・アイルランドは、コロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件で負傷した生存者です。彼は長い回復の途上で、恨みから解放されないと傷は深くなるばかりだと学びました。赦しの鍵は、人にされた悪ではなく、イエスがしてくださったことに焦点を合わせることでした。キリストは十字架上で、自分を苦しめる者たちのために「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と言いました(ルカ23:34)。こうして祭司ザカリヤの預言が成就したのです(1:77)。
ありえない赦し
ナチスが5万人以上の女性を殺したラーフェンスブリュック強制収容所が解放されたとき、遺体に混じって祈りが記されたしわくちゃの紙が見つかりました。「主よ、善人だけではなく、悪人をも忘れないでください。しかし、彼らが与えた苦しみではなく、その苦しみの中で育てられた私たちの同志愛、忠誠心、謙遜、勇気、自己犠牲、心の偉大さという果実を覚えてください。さばきのときには、私たちが結んだ実のゆえに、彼らを赦してください。」この女性は想像を絶する恐怖や苦痛を味わったはずなのに、何という寛大さでしょう。虐待した人のために神の赦しを求めるなど考えられません。
負債の免除
カリフォルニア州のロサンゼルス郡が、犯罪者の収監費用を、その親に課すことを辞めたのは、2009年のことです。しかし、法令が変わった時点で未払いだった分については、まだ支払う義務がありました。しかし2018年、その義務も免除されました。