Category  |  伝道

全ての言語で

アテネ中心部のある教会で、神の愛が母国の人々に届くように、仏語、独語、スロバキア語、ギリシャ語、英語など、さまざまな言語で祈りがささげられました。ペンテコステ当日だったこともあり感動はひとしおでした。

神の偉大な力

ひどい吹雪であちこちで送電線が切れ、町の大部分が停電しました。多くの家庭では灯りが消え、暖房機器が使えず、極寒の中、電力の復旧を待っていました。後日、町の教会の駐車場が復旧作業指令基地になり、各地へ作業車が送り出されて作業にあたったと知りました。

福音伝道

エリオットは、南アジアのある国で、牧師研修会の講師としてテモテへの手紙二を教え、使徒パウロの訓戒に沿って牧師を励ましました。パウロのように福音を恥じることなく語り、苦難や迫害を甘んじて受けなさいと勧めました(1:8-9)。数日後、エリオットは、その国でキリスト教の伝道活動や改宗が禁止されていると知らされ、研修会の参加者たちが危険から守られ、ひるまず、あきらめず、宣教できるようにと祈りました。

福音のためのリソース

シカゴの中心部で牧師対象の宣教会議があり、立派な会場と宿舎が準備されていました。そこに向かう途中に見た、衣食住にさえ事欠く人々の置かれた環境とは対照的です。この違いは、私たちの伝道計画に含めるべきことを明示しています。つまり、神が福音宣教のために諸教会に与えられたさまざまなものを充当すべき場所についてです。

弱さが生み出す美

画家のドガは網膜の病気を患い、視力が低下すると、油彩画よりもはっきり見えるパステル画を描きました。ルノワールは、関節リウマチで指が湾曲し硬直すると、その間に筆を固定して描き続けました。マティスは、手術して動けなくなると、壁に大きな紙を広げさせ、切った色紙を指示どおり貼らせ、「切り紙絵」を作りました。どの場合も、画法の創造性を躍進させました。ドガの『青い踊り子たち』、ルノワールの『ピアノに寄る少女たち』、マティスの『王の悲しみ』などの傑作は、彼らが試練に適応する中で生まれました。

現代のパウロ

ジョージ・バウワーは、1957年、ビリー・グラハム伝道集会でキリスト者となり、人生が激変しました。すぐにOM(オペレーション・モビライゼーション)という宣教団体を始め、1963年にはヨーロッパに2千人の宣教師を送りました。OMは毎年数千人の宣教師を派遣し、20世紀最大の宣教団体となりました。2023年、バウワーが天に召された時点では、134カ国から3千人以上が働き人として147カ国で活動し、OMとの関わりをきっかけに設立された宣教団体は、300近くありました。

神に関する誤解

ミケランジェロが1515年に完成させたモーセ像には、額の上から突き出る2本の角があります。それは多くの中世やルネッサンス期の芸術家に共通の描写ですが、その理由は当時の聖書の訳です。ヘブル語で「角」は「光線」を意味します。神の前に出た後、モーセの顔は輝いていました(出34:29参照)。それを、ラテン語のウルガタ聖書は「角」と直訳したために、モーセは誤解されたのです。

釣りざおと新しい友

ある日の午後、パティは近所の川のほとりで釣りをしました。魚釣りではありません。最近、この地区に引っ越してきたので、友だちが欲しかったのです。さおの先には、餌もルアーもありません。彼女は、頑丈なチョウザメ用のさおにクッキーの袋をくくりつけ、暑い夏の日に川下りするゴムボートの人たちに差し出しました。そのおもてなしは、皆にうけたようです。この独創的な方法で、彼女は隣人たちと知り合いになりました。彼女は文字通り、友だちを釣りに行ったのです。

話さずにいられない

ジョン・ダニエルスは言いました。「あのね、イエスは君を愛しているよ。すごく愛してるんだ」。彼の人生最期の言葉です。ホームレスの男性にお金をあげ、こう言って別れた直後、車にはねられて亡くなりました。葬儀の式次第には、こう書かれていました。「ジョンは、より多くの人に手を差し伸べる方法を思案していました。あの日曜日の午後、困窮する男性を助けた後、神は彼に世界に触れる手を授けられました。地元の全テレビ局が報道し、家族や友人のみならず全米の人の心を動かしたのです」