Category  |  謙遜

愛に満ちた懲らしめ

父は50年以上、編集の仕事に携わりました。文法的に正しく、筋の通った、分かりやすく読みやすい文章にすることに情熱を傾けましたが、訂正は朱ではなく、緑色で行いました。緑のほうが「優しい」からだそうです。厳しく朱を入れられると気に触る作家もいるでしょう。父の目的は、より良い文章を提案することだったのです。

神ではない

自分が高慢ではないかセルフチェックすることを、C.S.ルイスは『キリスト教の精髄』の中で勧めています。ぞんざいに扱われる、無視される、見下される、自慢を聞かされる。このような扱いを受けたとき、どれほどの嫌悪感を抱くかがひとつの指標です。ルイスは、高慢は諸悪の根源で、家庭や国家を惨めな状況にすると考えました。それは「霊の癌」で、愛、満足、良識を食い尽くすと述べました。

真の奉仕者

紀元前27年、ローマ帝国の執政官オクタヴィアヌスは元老院に全権を返還しました。彼は内戦を鎮め独裁者となり、国を治めていましたが、その権力は疑念にさらされていました。それで権力を返したのです。その結末は、全権を元老院から譲渡され、ローマ市民への奉仕者と呼ばれ、「尊厳者」の意味を持つ「アウグストゥス」という称号を与えられました。

借りた靴

高校3年生のゲイブは、カリフォルニア州で2018年に発生した大規模な森林火事で被災し、クロスカントリーの州大会予選に出場できませんでした。州大会を目指して4年間頑張ってきたのに、そのチャンスを失ったのです。大会委員会は状況を考慮し、ゲイブが出場資格時間内で走れるかを審査するという救済措置を講じました。しかし、彼は、ライバル校の校庭でひとりで走らなければなりません。その上、競技用シューズは火災で黒焦げになっていたので、普通の運動靴で走らなければなりませんでした。

誰のため?

メキシコのある町の沿道で、群衆が手に旗を持ち、紙吹雪を降らせて、ローマ教皇を待っていました。すると、その道の中央を小さな野良犬が歩いています。仔犬は人々の歓声に応えて笑っているかのように見えました。私は、その写真を見て大笑いしました。どんな犬にも晴舞台があってもよいかもしれません。

適切な応答

きつい言葉には傷つきます。友人の作家は、新作で5つ星と大きな賞を受賞しましたが、権威ある雑誌の書評で褒め殺しに遭いました。良く書けていると言いながら、手厳しい批判を受けたのです。彼は友人たちに「どう応答するべきだろう」と尋ねました。

恥ずかしい経験

私の一番恥ずかしい経験は、神学大学院の50周年記念式典で教授や学生、そして関係者に向かって講演した時のことです。原稿を手に講壇に上り、大観衆を見渡しました。しかし、その目が、式服に身を包み、最前列に陣取っている厳めしい顔の高名な教授たちを捉えると、頭が真っ白になりました。口は渇き、訳の分からないことを冒頭で言い、原稿があるのに、即興で喋りました。そして準備した話にどうやって戻ればよいか分からないので、原稿を必死でめくり、意味不明な話をして、聴衆を当惑させました。何とか話を締めくくり、はうように席に戻り、床を見つめました。死んでしまいたい気分でした。

謙遜こそ偉大さの証

予想だにしなかったイギリス軍の降伏で、アメリカが独立を勝ち取った時、政治家や軍人たちは、司令官ジョージ・ワシントンを国王にしようとしました。世界の目は、絶対的権力を掴める立場となったワシントンが、自由という理想を掲げつづけるだろうかと注視しました。しかし、英国王ジョージ3世は違いました。ワシントンが権力にひかれず、バージニアの農園へ帰るなら、彼こそ「最も偉大な人物」だと思ったのです。王は、権力の誘惑に打ち勝った人こそが、真に高貴で立派な人だと分かっていました。

役に立つ誘惑

古来、人々に愛読されてきた15世紀の修道僧トマス・ア・ケンピスの著書『キリストにならいて』には、誘惑に対する意外な見解が示されています。ケンピスは、誘惑されたとき、人はへりくだり、きよめられ、教えられると言います。そして、勝利の鍵は、真の謙遜と真の忍耐。そのうちにあって、我々は敵よりも強くなると説明しています。