へりくだりイエスに従う
夫婦で育てている里子を連れて自宅近くの公園に行きます。彼のお気に入りは「子供の庭」という場所です。彼が走り抜けられる小さな入口がありますが、大人の私はしゃがまないと通れません。膝をつき、体をよじって自分を追いかける私を見て、彼は笑います。
豊かに育つ愛
中学生の頃、夏季キャンプでからかわれて傷つきました。心配して様子を見に来てくれたリーダーのことを無視しましたが、後日、手紙をもらいました。それを読んで、私は神に大切に思われていると感じることができました。そこに引用されていた、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださる」(フィリ1:6)は、自分に向けられた言葉のようでした。
ケアパッケージ
一人暮らしの大学生の子どもたちに、母親の私が送る小包「ケアパッケージ」には、主に手作りのお菓子やキャンディーが入っています。その他は、忘れていったお気に入りのシャツや文房具など、実用的なものです。このケアパッケージという言葉が、第二次世界大戦直後にアメリカで設立された人道支援団体の名称に由来すると最近知りました。その団体は、大戦直後、深刻な食料不足に見舞われたヨーロッパの戦争被災者や貧しい人々に、箱に詰めた食料などを届けたのです。
御手は必ず届く
少女は16歳で懲役50年の判決を受け、刑務所の独房に収監されました。他の受刑者との接触も許されず、1年近く面会者もありません。刑務所は、教誨師(きょうかいし)の面会を許可しました。少女は、福音を聞いてイエスを受け入れ、洗礼を望みました。教誨師はビンの水で洗礼するつもりでしたが、刑務所の職員が厳戒態勢を敷き、彼女を移動式の洗礼層に誘導しました。神を信じる人々が祈る中、彼女は涙を流しました。
中傷される
強風にあおられて火は燃え広がり、何日も燃え続けました。歴史家タキトゥスは、市民が我が身を守ろうと悲鳴を上げて逃げ惑う、混沌(こんとん)としたローマの様子を記録しています。結局、ローマ市の3分の2近くが焼失しました。皇帝ネロは、キリスト教徒が放火したとうそをつきました。キリスト者を憎んでいたので、災禍の責任をなすりつけようとしたのです。この火災はネロの命令によるものだという噂を払拭するためだったのかもしれません。
神の真実の愛
教会の人たちと老人ホームを慰問した時、エドという男性が身の上話をしてくれました。娘に「高級ホテルに泊まれる」と言われて、この施設の前まで連れて来られ、歩道に置き去りにされたそうです。彼は車椅子から立ち上がれず、娘は振り向くこともなく車に戻り、去っていきました。それが彼女を見た最後でした。
えこひいきはダメ
米国の第18代大統領、ユリシーズ・グラントは、1872年、馬車を爆走させ、アフリカ系アメリカ人の警察官ウィリアム・ウェストに止められました。「閣下、そのスピードでは通行人の命を脅かします」。グラントは謝罪しましたが、翌日も猛スピードで走りました。ウェストは再度馬車を止め、「一介の警官に過ぎない私が、国家の長である大統領に対して誠に遺憾ですが、任務は任務です」と言い、グラントを逮捕しました。
福音を伝える
エクアドル宣教旅行で、祈りながら訪問伝道をしました。ある時、畑で玉ねぎを収穫している人に聖書について少し話したいと言って、下手なスペイン語でしたが、自分の証しをしました。その人は作業の手を止めて聞いてくれました。一緒にいたチームの一人が聖書を音読し、その男性は、手渡した小冊子に記されたスペイン語の聖書の一節を一緒に読んでくれました。アンデスの山脈を臨む地で、福音のメッセージが読まれる。それは神聖な瞬間でした。私たちは、少し離れた所で作業していた彼の家族とも話し、この一家のために祈り、次の家に向かいました。
孤独を神と共に生きる
大勢の人がいて、皆が孤独。それが都会の生活だ。19世紀の米国の思想家ヘンリー・ソローは、そう語りました。20世紀になり、 孤独をテーマにしたポップソングは、日本でも『上を向いて歩こう』、『異邦人』など、数多く発表されました。21世紀の今、コロナ禍では人との接触が制限されました。ソーシャルメディアは、希薄な人間関係を助長しています。孤独はまるで疫病のように、世界に蔓延しているのかもしれません。