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神の愛を実践する

父親が50代で末期がんと診断され、ブランドンは両親を自宅に引き取りました。父は南国が好きでしたが、もう旅行には行けません。それで家の庭に「南国」を造ることにしました。池を作って魚を入れ、滝も作りました。砂を運び入れて海岸のようにし、バナナの木とライト、たいまつ、日よけテントも建てました。父は最期の日々、その庭を楽しみました。

心に染みる別れの言葉

友人のホセは、緩和ケア病棟に入りました。最初は、意識もはっきりしていて、よくしゃべっていたのに、1週間後には衰弱して言葉が出ませんでした。私は、病室で、彼の家族に混ざって座り、ホセや家族にとって、私の存在が無意味でないことを願いました。見舞の人が皆、帰り、私だけがホセと一緒にいました。やがて、私は立ち上がり、戸口に向かい、振り返ると、返事はないと知りつつ「大好きよ」と言いました。すると、ホセの唇が「大好き」と動くのが見えたのです。それが最後になりました。

レンタカーに教えられる

最近、レンタカーを借り、混雑した繁華街の狭い道を、慎重に、いつもよりゆっくり走りました。事故はもちろん、車を傷つけたくはありません。私のものではないのですから。

誰と一緒に過ごすか

意地の悪いテレビ番組が、人の性格に影響を与えるという研究結果があります。例えば、公然の悪口、陰湿なうわさ話、いじりなどのドラマやバラエティーは、視聴者の脳内に同様の言動をまねる下地を作ります。これは無意識に起こります。つまり、笑える「いじり」でも、それを繰り返し見ると、知らない間に、自分の人を見る姿勢に影響を与えます。テレビ番組でさえそうなので、多くの時間を一緒に過ごす人から受ける影響は小さくありません。

生きた水

レンブラント作の『キリストとサマリアの女』を見た時、腰を曲げ、胸に手を当てたイエスの姿勢が印象的でした。実に謙虚な姿勢です。ユダヤ人は「サマリア人とは交際しない」(ヨハ4:9)のが通常でした。両者の関係は長い間険悪だったからです。それなのにイエスは、相手の尊厳を守り、礼儀正しく行動され、のけ者だったこの女性に温かい手を差し伸べられました(17-18節)。

自画自賛ではなく

古代エジプトのファラオ、ラムセス2世は、自分の偉大さを誇示する多くの建設事業を行い、同時に、幾つもの自分の彫像を造らせました。その一つは、花崗岩の巨象で、高さ約11メートル、重さ83トンもあります。しかし、誇り高きファラオも、年齢には逆らえませんでした。実際、死亡した時、ファラオは虫歯や関節炎、慢性の心疾患に苦しんでいたと推察されます。ファラオの彫像は、長年、持ちこたえました。しかし、あらゆる人間と同様、ラムセス2世は、世を去りました。

私の隣人とは

高齢の女性が、熱い日に道で転倒し意識を失いました。数人が立ち止まり、119番に電話をしたり、自分の服を彼女の枕にしたり、脇の下を冷やしたり、日傘をさしてあげたりして、救急車の到着を待ちました。動画を投稿した人は、年齢や性別、人種を超えて、人々が救助のために協力していて、心温まる光景だったと書きました。

御父の愛を映す

スコットランドの宣教師メアリー・スレッサーは、宣教と人道的社会改革の象徴として人々に覚えられています。1848年に生まれ、1876年からナイジェリアのオコヨンに遣わされました。その地域では、双子が生まれると、どちらか一方は悪霊の子だと信じられていました。その結果、多くの双子が、飢えや危険の中に放置され、殺されました。メアリーは、神の愛の心を映して、約40年の働きの中で数百人の危険に瀕した子どもたちを救い、自らも9人を養子に迎えました。

気前よく与える心意気

大叔父の追悼式では、夫婦で温かく人をもてなし続けた彼の生涯に敬意を示し、その象徴としてローストビーフとトウモロコシ、豆の食事が提供されました。彼らは毎日曜日、教会へ行く前に、大きな肉と野菜をスロークッカー(電気煮込み鍋)にセットしました。そして、礼拝後に必ず誰かを昼食に招きました。相手は友人の場合も、初対面の人の場合もありました。どちらにしても、彼らは、必ず十分なごちそうを準備し、日曜日の午後は、客をもてなすために取り分けられていました。