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このお方を誰と言うか?

アインシュタインは1929年のサタデー・イブニング・ポスト紙のインタビューで、こう語りました。「子どもの頃、聖書とユダヤ教の両方から学びました。私はユダヤ人ですが、聡明なナザレ人に夢中になりました。…福音書を読んでイエスの存在を疑う人はいません。イエスの一言一言に人柄が現れます。ただの神話であるはずはありません。」

名声と謙遜

人は名声に弱いものです。有名になりたいと思う人や有名人の何もかもを知りたいと思う人などがいます。本や映画、テレビやラジオ、ツイッターのフォローなどを見れば明らかです。最近、アメリカの研究者が、インターネットで検索された人の名前を人工知能を使って分析し、古今東西の有名人ランキングを発表しました。すると、第一位になったのはイエス・キリストでした。

国境なき愛

中国で義和団の乱があった1900年、太原市(タイユアン市)の家に閉じ込められた宣教師たちは、助かる望みがあるとしたら、それは彼らの命を狙う群衆の中を突破することだけだと腹をくくりました。そして、武器を片手に何とか脱出しましたが、エディス・クームズは、ふたりの中国人学生が負傷して逃げられなかったことに気づき、危険を冒して引き返しました。彼女は、ひとりを救出しましたが、ふたり目を助けようとしたところで見つかり、殺されてしまいました。同じ頃、忻州(シンチョウ)の宣教師たちは、中国人伝道師、何全奎(カ・ゼンケイ)に伴われて田舎に逃げ、隠れていました。しかし何は、宣教師たちの脱出路を偵察中に捕まり、隠れ家を教えなかったために殺されました。このふたりは、文化や国籍を超えて友を愛しました。彼らの自己犠牲は、それ以上に大きなイエスの愛と自己犠牲を、私たちに示しています。

みんないっしょに

オーストラリアのパースで、電車に乗ろうとした男性の足がホームと車両の間に挟まってしまいました。駅員が助けようとしましたが、できません。そこで50人ほどの乗客が協力し、「いち、に、さん!」とかけ声をかけて電車を押しました。みんなで重い車両を押したおかげで、その男性は足を引き抜くことができました。

力ある勝利者

私たちは良い政治を願って投票し、公正、平等、正義のために発言します。しかし、政治には人の心の状態を変える力はありません。

十字架を握りしめて

偉大な説教者、チャールズ・スポルジョンは、キリスト教界の人材育成のために1856年、スポルジョン大学の前身となる学校を設立しました。校章には十字架を握る手が描かれ、ラテン語で「Et Teneo, Et Teneor」と記されています。これは「私は握り、握られている」という意味です。私たちはキリストの十字架をしっかり握って大胆にかかげると、スポルジョンは語ります。その理由は、十字架の力が私たちを捕らえているからであり、だれもがキリストの真理に捕らえられて欲しいと願うからだと、自伝で述べています。

良い信仰、悪い信仰

信仰を持つべきだと言われますが、どういう意味でしょう。どんな信仰でも良いのでしょうか。「自分自身を信じなさい。自分の内には、どんな障害よりも優れたものがあると信じなさい」とは、一世紀前に積極思考の人が書いた言葉です。聞こえは良いですが、現実はそれほど甘くありません。私たちは、自分より大きなものを信じなくてはなりません。

大切なことば

デイリーブレッドの駆け出し編集者だった頃、表紙に載せる聖書のみことばを選んでいました。しばらくすると、このみことば選びにどんな意味があるのだろうと思い始めました。そんなときです。息子のために20年以上も祈ってきたという読者から、手紙が来ました。その息子はずっとイエスを避けていましたが、ある日、実家に立ち寄り、テーブルの上にあった「デイリーブレッド」の表紙の聖句に目を留めました。聖霊はそのみことばを用いて悔い改めを促し、彼は回心して、その場でイエスの救いを求めて祈ったそうです。

究極の旅路

マダガスカルの国道5号線からは、白砂の海岸線、ヤシの森、インド洋の美しい景色が見えます。ところが、この全長約200キロの2車線道路は、むき出しの岩と砂、そしてぬかるみだらけで、世界最悪の道だと言われています。その息を飲むような絶景を見たいのなら、四輪駆動の車とベテランの運転手、そして整備士を同乗させて旅に出るべきだそうです。