光を輝かせる機会
金融業を引退したホイットニーが2020年3月、ニューヨークのセントラルパークを歩いていると、十字架をつけた知らない慈善団体のトラックが何台もありました。防水シートやテントを積んでいます。 コロナ患者の仮設病院を設営していると聞くと、彼は出来ることはないかと尋ねました。そして、宗教や政治理念が異なるにもかかわらず、何週間も支援しました。彼は、出会った人は皆、純粋に良い人で、自分の街がどうしようもなく困っていたとき、誰に雇われるでもなく助けに来てくれたと、彼らの行為を賞賛しました。
言葉を超えた
トマス・アクィナス(1225~1274年)は、最も尊敬される神学者の一人でした。しかし、死のわずか3カ月前、生涯の研究の集大成だった『神学大全』の執筆を断念しました。救い主の砕かれた体と流された血について黙想していたとき、幻を見て絶句し、「もう書けない。私が見たものに比べれば、私の著書など藁(わら)のようなものだ」と述べました。
大胆に立つ
イリノイ州のある町では犯罪の40%が家庭内での暴力です。これは教会員にも関わる問題ですが、なかなか言い出せることではありません。そこで、地域の牧師たちが立ち上がりました。暴力の兆候を見抜くための講習を受けたり、この問題に取り組むNPOを支援したりして、見て見ぬふりはしない、主にあって勇敢に立ち向かう、と示しました。「私たちの祈りと思いやり、身に着けた知識や技術、ネットワークは、大きな変化をもたらしています」とひとりの牧師は語っています。
神に頼る
ハリエット・タブマンは奴隷の家庭に生まれ、読み書きができませんでした。残虐な主人のせいで頭部にけがを負い、生涯、後遺症に苦しめられました。しかし、逃亡奴隷となった後は、300人もの奴隷を救出するために神に用いられ、救出された人たちから「モーセ」と呼ばれました。
イエスのように完全
カスリーン・ノリスは、現代の完全主義は、臆病になりすぎて必要なリスクを取れなくなる極めて不健全な心理状態だと言います。一方、マタイの福音書で「完全」(5:48)と訳された単語は、成熟、完成、全人的を意味すると述べます。つまり、「完全であるとは、成長の余地を残しつつ、他人に尽くせる程度に大人であること」と結論づけました。
ばかげた投資
アメリカで経済恐慌が起こった1929年、何百万という人々が全財産を失いました。皆がパニックに陥り最安値で株を売る中、フロイド・オッドラムは、その株を買いあさり、その姿は愚かしく見えました。ところが、その一見ばかげた投資は、数十年にわたり莫大な利益を生むことになりました。
基本に立ち返る
新年の誓いは破られるためにあるようなものなので、ユーモアたっぷりの実現可能な誓いをソーシャルメディアに投稿する人たちがいます。例えば、市民マラソンに申し込む(但し、走らない)、先延ばしを明日からはやめる、ダイエットに成功した人とSNSでつながらない、などです。
アイデンティティー
その人はまず、道具箱を選び、そして釣り道具一式を選んでレジに行きました。店主が釣りの経験を尋ねると、ないと答えたので、救急セットも購入するように勧めました。その客は、支払いを済ませて釣りに行きましたが、まったく釣れず、釣り針で指を切っただけでした。
イエス印の服を着る
ジェローム・ベティスが大学に進学して実家を出る時、父のジョニーは「君にあげられる物はあまりないが、私には良い評判がある。それを汚してはダメだよ」と賢明な助言をくれました。これは彼の座右の銘になりました。彼は、プロフットボール殿堂入りのスピーチでこの逸話を披露し、最後に自分の息子に向けて「私は良い評判以上に大きな物を君にあげることはできない」と語りました。