神の召し
ケイシーは不良少年のリーダーで空き巣や車上荒らし、コンビニ強盗、グループ間の抗争に仲間と共に明け暮れました。逮捕され、服役中も、囚人のボス的存在で問題を起こしました。そして独居房に入れられ、ぼんやりしていた時のことです。自分の人生の出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡り、十字架に釘付けになったイエスが、彼に話しかけました。「これは君のためだ」。ケイシーは泣き崩れて回心しました。彼がこの経験を刑務所のチャプレンに話すと、チャプレンはイエスについてもっと教えてくれ、聖書もプレゼントしてくれました。
賢く生きる
無料の生前葬。そんなサービスを始めた会社が韓国にあります。2012年から現在に至るまで、2万5千人以上が合同生前葬に参加しました。10代の若者もいれば、60代の人もいます。この人たちは、死を考えることでより良い人生を送りたいと願ったそうです。会社の担当者は「人生を振り返ることで、感謝や赦しを呼び起こし、家族や友人の絆を強めます」と語ります。
凡庸はあり得ない
アニタは90歳の誕生日に永久に旅立ちましたが、その静けさは、彼女の人生を映すようでした。夫亡き後、子や孫たちを支え、教会の若い女性たちの友でした。特段の才能や偉業があったわけではありませんが、その深い信仰は、周りの人々に影響を与えました。私の友人は、「どうしようと思う問題がある時、頭に浮かぶのは、有名な牧師や作家の言葉ではなく、アニタなら何て言うかしらということなの」と言いました。
自由の中で跳ね回る
ジムは農家の3代目です。「わたしの名を恐れるあなたがた…は外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る」(マラ4:2)という聖書のみことばに感動し、永遠のいのちをくださいとイエスを受け入れました。ジムの娘によると、自分の子牛が喜び勇んで牛舎を飛び出していく様子を知っているので、神が約束した本当の自由について納得したといいます。私たちはこのとき、マラキ書4章の比喩的表現について話し合っていました。
神の恵みで成長する
英国の説教者チャールズ・H・スポルジョン(1834-1892年)は全力で人生を駆け抜けました。19歳で牧師になり、まもなく千人以上の会衆に説教しました。自ら編さんした説教集は63巻にのぼり、注解書や祈りの本の執筆、慈善事業も行いました。また、毎週6冊もの本を読みました。彼は礼拝説教で「何もしないのは罪の中でも最悪の罪だ…なぜなら、他のほとんどの罪を含むから…。いまわしい怠惰よ。神よ、その罪を犯さないように助けてください」と述べました。
まことを尽くすという選択
トルストイの小説『家庭の幸福』のセルゲイとマーシャが出会ったのは、田舎育ちのマーシャが若く世間知らずの時。セルゲイは旅慣れた年長のビジネスマンでした。ふたりは恋に落ち結婚し、田舎に住みますが、マーシャは単調な生活に飽きてしまい、ふたりは気晴らしにサンクトペテルブルクに旅行します。そこで美しいマーシャは人気者になり、帰る間際には王子から会いたいと言われます。セルゲイは無理に帰ろうとはせず、妻の良識にゆだねます。しかし、マーシャはセルゲイの信頼を裏切るのです。
小さくても力持ち
細く甲高い鳴き声が北アメリカのソノラン砂漠で聞こえることがあります。何の声かといぶかるかもしれませんが、これは縄張りを主張するバッタネズミの遠吠えです。これはオオカミネズミという異名を持つ肉食の小動物で、他の動物なら避けて通るサソリなどを捕って食べます。サソリの毒を中和するだけでなく、痛み止めに変えることができるという非常に特殊な能力を有しています。この過酷な環境の下で生き残り繁栄するように、わざわざそう造られたかのようです。このような有様は、使徒パウロがエペソ人への手紙2章10節で述べている神の御業の特徴を想起させます。
書かれた目的
エティ・ヒレスムは「主は私の高きやぐら…私たちは歌いながら収容所を発った」とハガキに綴り、それを汽車から投げ捨てました。1943年9月7日。これが、私たちの知り得る彼女の最後の言葉です。同年11月30日、エティはアウシュビッツで殺されました。後に、彼女の日記が発見され、翻訳出版されました。それはナチス占領下の恐怖と神の世界の美の記録です。現在67言語に翻訳された「エティの日記」は、悪だけでなく善の存在をも信じる、すべての読者への贈り物です。
キリストにしがみつく
チャールズ・ブロンディンは、1859年の夏以来、何度もナイアガラ瀑布の綱渡りに成功しました。ハリー・コルコードを背負って渡ったこともあります。その際、彼は言いました。「上を見ろ。君はもうコルコードではなくブロンディンだ。俺が揺れる時は一緒に揺れろ。自分でバランスを取ろうとするな。そんなことをしたら、ふたりとも死ぬぞ。」