キリストのかおり
子どもの頃、親友の祖父がテキサス州ロメタ近郊で牧場主をしていました。彼が用事で町に出かけると、よくついていきました。知り合いとおしゃべりをする間もそばにいて、彼がその人たちの名前や境遇を覚えているのが分かりました。彼はあちこちで立ち止まり、病気の子どもや夫婦関係の難しい人を励ましていました。ふさわしいと思えば聖書のみことばを分かち合い、祈ることもありました。私にとって忘れられない人です。信仰を押しつけることはありませんが、彼が去った後には、信仰の余韻が残っていました。
愛の本質
パンデミックによるロックダウンで、ジェリーの経営するスポーツジムは閉鎖に追い込まれ、彼は何か月も無収入でした。ある日、午後6時にジムの外で会いたいと友人からメールが届き、要件が分からないまま時間通りに行きました。すると車が何台も駐車場に入ってきました。先頭の車のドライバーが建物脇の歩道にバスケットを置くと、50台ほどの車が次々に来ました。乗っている人たちは、ジェリーに手を振ったりしながら、バスケットのところで停車し、手紙や現金を入れました。金銭を出した人も、そうでない人も、全員が彼を励ますために時間をささげたのです。
慰め主なる神
病気の子ネコのラダメネスは、飼い主に見捨てられ、保護施設に収容されましたが、そこの獣医に引き取られ、元気になりました。そして、今ではここに住んで、手術後や治療中のネコや犬を温かく見守り、優しく喉を鳴らす音にみんなが慰められます。
チームメイト
フィラデルフィア・イーグルスのクォーターバック、カーソン・ウェンツが大怪我から復帰した時、補欠のニック・フォールズは穏便にベンチに戻りました。彼らはNFLのチームでポジションを争うライバル同士ですが、互いを支え、誇りをもって自分の役割に徹しました。ひとりのレポーターが、彼らの特別な関係に気づきました。相手のために常に祈るという関係です。ふたりは、アメフトのみならずイエスのチームに属するチームメイトだと意識することで、衆目の中で、イエスに栄光を帰したのです。
ともにいるということ
テーマパークのスタッフのジェンは、男の子が地べたで泣き叫んでいるのを見つけて駆け寄りました。ラルフという少年でしたが、朝からずっと楽しみにしていたアトラクションに行ってみたら、故障中だったのです。ラルフは自閉症でした。ジェンは彼を抱き起こしたり気休めを言ったりせず、一緒に地面に寝転んで気持ちを共有して、気がすむまで泣かせてあげました。
自分の役割
孫ふたりがミュージカルのオーディションを受けましたが、手にしたのは「花」の役でした。しかし、ふたりは友だちが大役を射止めたことに興奮していると言います。自分の結果に落胆する以上に、友人の喜びを共有しているのだそうです。
励ましの日
災害の際に初動活動をする人たちは、連日、勇気をふるい、献身的に働きます。2001年、何千人もの死傷者を出した米国の同時多発テロ事件では、400人以上の救急隊員が命を落としました。この人たちに敬意を表すために、米国上院は9月12日を「励ましの日」として国家の記念日に制定しました。
おしゃべりバナナ
バージニア州バージニアビーチの小学校の食堂でバナナを買うと、メッセージが書かれています。「絶対、あきらめないで」、「誰かを笑顔にしよう」、「過ぎたことにくよくよしない、、これからが大切だ。」子どもたちは、これを「おしゃべりバナナ」と呼びます。学食の主任ステイシー・トルーマンが、わざわざ時間を裂いて、子どもたちのために書いているのです。
ともに勝利する
サムエル・バッガガ牧師は真夜中に呼び出しの電話を教会員から受け、駆けつけると、家は炎に覆われていました。父親は火傷を負いながらも、子どもを助けるために再び家に入り、気絶した娘を抱きかかえて現れました。そこはウガンダの田舎だったので、病院まで10キロの道のりです。車がないため、牧師と父親は、子どもを抱えて走りました。腕が疲れると、もうひとりが代わって抱き、一緒に走ったのです。そうして病院にたどり着き、親子とも治療を受けて全快しました。