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揺るがない信仰

ケヴィンは亡くなった父の遺品を引き取りに介護施設に行きましたが、手渡されたのは2つの小さな箱だけでした。彼はその日、人は大して持っていなくても幸せでいられると実感した、と言います。父のラリーは最期まで、屈託がなく、人に対して笑顔と思いやりを絶やさない男性だったからです。彼の幸せは、箱には入らない財産、つまり、救い主イエスを信じる揺るぎない信仰でした。

人のことを喜び祝う決断

作家のマリリン・マッケンタイヤーは「嫉妬の反対は共に祝うこと」と友人に教わったと語ります。友人は障害と慢性痛のために才能を十分に開花させられませんでしたが、なぜか人のことを喜び祝う独自の術を習得し、亡くなる前には出会いの全てに心から感謝していました。

できないと言わない

ジェンは両足無く生まれ、病院に置き去りにされました。養子縁組をして、愛情を注いでくれた人たちのおかげで、今日があると語ります。養父母は、決して、できないとは言わせず、生まれついた身体には意味があると納得させてくれ、どんな夢を追うことも応援してくれました。彼女は現在、曲芸師として活躍しています。困難に対しては前向きの姿勢で臨み、人にもそうするように勧めます。

本当の幸福

コルドバ(スペイン)を10世紀に支配したアブド・アッラフマーン3世は、50年間「臣民に慕われ、敵に恐れられ、同盟者に敬われ」た成功の後、奥深い人生の見解を語りました。彼は、富や名誉、権力や快楽を享受した己の特権を認め、その間、彼が純粋に幸福を感じた日数を数えたところ、それはたった14日でした。何という現実でしょう。

もうむなしくない

精神科医のマデリン・レヴィンは、15歳の少女が自傷行為の跡をシャツの袖で隠していると気付きました。彼女が袖をまくると、カッターナイフで「むなしい」と彫った傷痕がありました。彼女は心を痛めながらも、少女が本気で助けを求めていると分かって感謝しました。

むなしさの中の喜び

ジェームズ・ウォードは「退屈なものが好き」というブログで知られていますが、2010年、第1回「退屈会議」を開催しました。それは、平凡すぎて見過ごされていることを祝う祭典です。過去には、くしゃみ、自動販売機の音など、一見つまらない主題が取り上げられました。ウォードは、退屈な話題でも、興味深く、意味のある、楽しい講演ができると分かっていました。

あなたの故に神は歌う

長男が誕生して17か月が過ぎ、娘もできました。私は大喜びでしたが、少し不安もありました。男の子のことは多少知っていますが、女の子のことは未知の領域ですから。娘をサラと名付け、妻を休ませるために、彼女を寝かしつける役目を買って出ました。私の子守歌は、なぜか「ユー・アー・マイ・サンシャイン」になりました。娘を腕に抱き、時にはベッドを揺らしながら、彼女のために歌いました。すべてが愛しい時間でした。娘はすでに大人ですが、私は今でも彼女を「サンシャイン」と呼びます。

犠牲を払うとき

コロナ禍の初期、2020年2月の新聞のコラムにドキッとしました。あなたは赤の他人が病気にならないために、自ら進んで生活様式を変え、旅行や外食、ショッピングを自粛しますかと問いかけ、「これは単なる医療の問題ではなく、自分のことより他人のことを優先できるかという問題だ」と述べていました。突然、美徳というものが紙面を飾ったのです。

知恵は喜びにつづく道

電話が鳴ってすぐに応答すると、教会で最年長の人からでした。年齢は100歳近くになる元気な働き者の女性です。自分の本を仕上げるために、執筆に関する質問をしてきたのです。しかし、私はいつものように逆に質問していました。人生について、仕事、愛、家族について尋ねました。長い人生から得た多くの教訓は、知恵の宝庫でした。彼女は「一歩、一歩ね」と言いました。そして、彼女は自分がそれを忘れてしまった時の話をして、ふたりで笑いました。彼女の数々の話は、いつも本物の喜びの香りがしました。