心躍る希望
レジナルド・フェッセンデンは、長年、ラジオの発明に没頭していました。他の科学者は、それを型破りで実現不可能なアイディアだと言っていましたが、1906年12月24日、フェッセンデンは、ラジオで音楽を流す最初の人となりました。
たましいの聖夜
多くの人に慕われている「きよしこの夜」が世に出るずっと前に、ポーランドの司祭アンゲルス・シレジウスが次のような詩を書きました。
クリスマスを過ごす家
ある年のクリスマス、私は出張で辺境の地にいました。黒海から吹き付ける寒風の中、とぼとぼと宿舎に戻り、本当に家が恋しくなりました。しかし、部屋の扉を開けて驚きました。ルームメイトの趣味の最新作が完成したのです。それは、きらめく光の粒をまとった高さ50センチほどの陶器のクリスマスツリーで、暗い部屋を照らしていました。一瞬、家に戻ったように感じました。
極端な行い
数年前、混雑するシカゴのユニオン駅で友人の幼い息子が迷子になり、ひどく慌てました。母親は息子の名を大声で呼びながら来た道を引き返し、エスカレーターを駆け上りました。数分が数時間にも感じられましたが、幸い、人ごみの中から息子が現れ、母親の腕の中に飛び込みました。
すべては贈り物
ロンドンのカフェ・ランデブには洒落た照明と心地良いソファーがありコーヒーの香りが漂います。このカフェは教会のビジネスとして始まりましたが、一年後に経営陣が変わりました。新しい人たちは、神が思い切ったことをするように召しておられると感じ、すべてを無料で提供することにしました。店内には献金箱さえありません。なぜそんなに太っ腹なのかと尋ねると「神が私たちにしてくださっているようにお客をもてなそうとしているだけです」と経営者のひとりは言いました。「神は人が感謝してもしなくても、与えてくださいます。神の気前良さは人の想像を超えています。」
心が帰る場所
ウェストハイランドテリアを飼ったことがあります。これはアナグマの穴に入って行き「敵」と闘うことを目的に育種された小型犬です。我が家の犬にその役割は不要ですが、その本能は残っていました。ある時、裏庭の石の下に何かがいると気づくと取りつかれたように地面を掘り、石の下に2メートルほどのトンネルができてしまいました。
かくれんぼ
幼い子どもは自分の目を覆って、自分が人に見えないと思ったりします。自分が何も見えないからです。大人にすれば甘い認識ですが、その大人も同じことをしがちです。自分本位な決断をするとき、神から離れようとします。
なおのこと、どんなにか
第一次世界大戦中の1915年10月、オズワルド・チェンバーズは英連邦軍のチャプレンとしてエジプトの訓練基地に赴任しました。平日夜間の集会を告知すると、400名の兵士らが広い兵舎に詰めかけました。彼は戦地で神を求める兵士たちと対話し「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」 (ルカ11:13)を引用しました。
ルースの物語
自分のことを話すとき、ルースは涙を浮かべます。80代半ばで外出もままならならず、教会でも目立つ存在ではありません。どこかに行くには誰かに送迎してもらわなくてはなりませんし、ひとり暮らしなので、他人に大きな影響を与える人とはいえません。