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祈るように促される

聖書に挟んでいたメモだという写真を添付したメールが届き、そこには「以前、あなたのために祈るように促されたことがよくあったのだけれど、なぜかしら」と書かれていました。メモには「ジェームズの心と思いと言葉が守られるように祈る」と書かれ、3つの年が記されていました。

神に願いを

夫が癌だと診断され、癒やしのために、どう祈るのが正しいのだろうと考えました。世界中には、戦争、飢饉、貧困、自然災害など、深刻な問題を抱えている人がたくさんいるのです。そんなある朝、夫の謙虚な祈りが聞こえてきました。「主よ。どうか癒やしてください。」単純な祈りですが、心の叫びでした。神は人の切なる願いを十分にお分かりなので、複雑な言葉を語らなくてよいと再確認させられる祈りでした。

神におまかせ

ネイトとシェリリンはニューヨークの日本食レストランで「おまかせ料理」を堪能しました。料理人に何もかもまかせる食事は初めての経験で、リスクがあるようで不安だったのですが、彼らは板長の選択と料理を心から楽しみました。

あきらめずに祈る

祈りについてE.Mバウンズ(1835-1913)が述べた「祈祷は不朽」は、世紀を超え人々を励まします。1925年、山崎亭治師が翻訳した著書「祈祷の目的」(東洋宣教會出版)は祈りについてこう語ります。「祈祷を捧げたる唇は死のために閉ぢ、祈祷を感じた心臓は其の鼓動を止めることがあっても祈祷は神の御前に生きている。而(しか)して神の心はその祈祷の上に止まり、これを捧げた人達の生涯よりも長く、又その世紀よりも長く、又世界よりも長く生きるものである」。

干し草山の祈り

ウイリアムズ大学の学生サミュエル・ジョン・ミルズと4人の友人は、神が宣教師を増やされるように、よく祈っていました。1806年のある日、祈り会の帰り道で嵐に会い、干し草の中で雨宿りをしました。彼らの毎週の祈り会は「干し草山の祈り会」として知られるようになり、世界宣教運動に発展しました。ウイリアムズ大学にある記念碑は、神が人々の祈りを通して大きな御業を成されることを伝えます。

そっちは滑りやすい

スキーの初心者だった時、こんな経験をしました。ある日、息子の ジョシュについて、なだらかに見える斜面を滑っていました。私の目は息子の背中を追っていたので、彼が急斜面に入ったことに一瞬気づきませんでした。そして、突然コントロールを失い、猛スピードで斜面を下りました。最後はもちろん、雪の中に突っ込みました。

生きる、祈る、愛する

ジェシー・オーエンスは、1936年のベルリンオリンピックの数少ない米国黒人選手のひとりで、憎しみをあおるナチスと指導者ヒトラーの前で、4つの金メダルを獲得しました。彼はまた、両親の強い信仰に影響された勇敢なキリスト者でした。親しくなったドイツのルッツ・ロング選手は、ナチスの世論操作の中で、オーエンスの信仰から来る何げない行為に衝撃を受けたと言います。後に手紙にこう綴っています。「君と最初に話したのはベルリンだったね。君が地面にひざまずいた時、祈っていると分かったよ。…今、僕は、神を信じてもいいかなと思っている。」

悪党を助ける

マンガを原作にした映画は米国内2017年だけで6本もあり、興行収入は40億ドルを超えました。人はなぜヒーロー物に引かれるのでしょう。ひょっとして神の物語に似ているからかもしれません。聖書にも英雄、悪党、救いを求める人々が登場し、多くの魅力的なアクションシーンがあります。

コミュニケーション

アジアに出張中、説教準備の読み物などを入れたiPadが故障し、真っ暗な画面になりました。修理屋を見つけましたが、次の問題は言語です。ところが、店の人はあるソフトを起動させ、中国語でタイプしました。すると文章が英語に翻訳され、英語の文章は中国語に翻訳されました。こうして、コミュニケーションが成立したのです。